今日、帰りの中央線内でふと携帯を開こうとしたら、




電池が切れてたんですよ。完全に。




で、ですね。


帰りの電車内だと私は本読んでるか携帯いじってるか寝てるかくらいしかないので、

寝ようかな、と思ったんですが、

ふと気づいたんです。




自分は今、携帯で誰かと「つながって」ない、ということを。




よくよく考えてみると、私の生活ってけっこう携帯に支配されてるんですよね。

本読んでても寝てても部屋にいても、

携帯のメールが来るとそれをすぐ開きます。


自分では意識してない、と思っていても、

意識のどこかで携帯を意識しているのでしょう。


それは別に、苦痛でもなんでもない。

自分にとっては「当たり前」のことです。

だけど、

いざ何も連絡がまったくこない状態に置かれてみると感じる

清清しいまでの解放感。



自分は今、何にも拘束されていない。

誰かが自分に向かって「メール」という形で呼びかけてもわからない。

誰かが自分を呼ぼうと電話をしてもつながらない。

つまり私は、誰かにとっての「私」ではなく、

完全に個性の無い「人」になっているのです。


誰ともつながらないことの不安といいますが、

誰ともつながらないことはこれだけ清清しいのだと。


没個性であることはこれほど気楽であるのだ、と感じました。


自分が「自分」であることってけっこう大変というか、負担なんだな、とも

その時感じました。


別に私は、「携帯が人間本来のコミュニケーションを破壊する」

だの、

「真の人間になる」

だの、

哲学者がいいそうなことは言いたくないです。実感値じゃないので。

でも、

当たり前のことを当たり前じゃなくするときに、自分を客観視できるのかもな、と

そのとき感じました。


今日は少しまじめな?お話でした。風邪が長引いてます。

皆様もお気をつけて。