何かを選択する場面というのは、悩みがつきものでありますが。
人は生まれた時代、場所、立場等によって、選択できる幅というのはかなり限られているものです。
同じ現代でも日本に生まれたか、インドで生まれたかでは全く異なる人生を送ることになる。
同じ日本でも平安時代に生まれたのと現代に生まれたのでは全く違う。
現代の日本でも男性なのか、女性なのか、また長男か次男かで異なることだってある。
いかに自由が保障されても、社会・文化という枠があり、生きるとは既にかなり限定された範囲の中で選択し続けることなのものです。
今もそれは変わらないけれど、現代の日本では、この選択肢があまりにも広くなっているのではないかと思う。
それは勿論悪いことではない。良い意味での可能性を「希望」と呼び、大小はともあれ、希望こそが生きる力になるのだと思うからだ。
ただ選択する場面が多い分、悩む機会も増えた。
かつては1本しかなかった道を「いかに受け入れるか」というのがテーマだったが、今は10本・20本とある選択肢のうち、「いかに9本・19本を断つか」ということがテーマだったりするのだ。「断つ」という作業は意外に心に負担のかかる作業であり、悩みの種になることはしばしばである。
決断は「"断"つことを"決"める」ということ。複数の中から選び出すというよりも、他を捨てる覚悟を持つことである。
選択の幅が広がったからこそ、より覚悟が要る社会に、今生きているのではないかなと思う。