妹も「何時に帰る、と決めとけへんかったら、
ズルズル遅くなるでー」と
母に伝えに行った。
「じゃあ、5時にしとこうか」という声が聞こえてきた。
しかし、3時半ごろだったか、いいかげん
さすがのお義母さんも疲れたのか
「もうやめようよ、終わろう」と言いだした。
おじさんも、「もうおいといたらええ」という。
全て終わらせるのは無理なのだ。
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その後私たちは再びたけのこ堀りに行かされた。
おみやげ用のたけのこを掘るのだ。
うっそうとした竹林、こんなところに
たけのこなんかあるのか?
と思わせる幻想的な風景。
テーマパークの残骸のような
あまりにも出来すぎで、作り物のようにさえ見え
美しく悲しい。
しかし、そんな中でもさすがおじさんは次々と
たけのこを見つけ、掘り当てる。
私たちだけなら
こんなとこにたけのこなんかないよぉ~
もう帰ろう、となる。
本当に幼いころからの経験というのは大事だ。
畑仕事も同じ。
とてもとてもできない。
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帰り支度も終わって、やっと
おばあちゃんちをあとにすることになった。
またおばあちゃんがシクシク泣きだした。
「みんな、ありがとね・・」
「みんなが帰るとさみしゅうなる」
小さいからだを震わせながら泣いている。
「よくきてくなさった」と涙をこぼす。
「またきておくんなさい」といって私の手を握る。
70年以上畑仕事をしてきた手だ。
朝起きると、井戸の水を汲みに行くことから
はじまる。
酷使されつづけてきた手だ。
おばあちゃんの涙に触れて
私も目に涙がにじんだ。
私はまたここへくるんだろうか。
ここへくるのは次はいつなんだろうか。
最後に来たのはもう10年近くも前のことだ。
あの時は遊びがてら
妹家族とともにきた。
妹の子どもも私の子どもも幼く、
子どもたちが家の中を走り回り
義母はそれだけでヒステリーを起こしていた。
家に帰ってからも義母のキンキン声が耳にこびりついて離れず、
もう二度といくまい、とおもったのではあるまいか。
でも、私は今年来た。
どうしてきたのか。
ずっときてなかったから。
手伝いもせず、コメや野菜だけをもらうわけには
いかなかったから。
悪く思われたくなかったから。
それでも悩んだ。
決断できないときに決める方法。
「そこへ行きたいか、行きたくないか」
「それをしたいか、したくないか」
この二つを私は自分で自分に正直に問うた時
答えは二つとも後者であった。
なのに、それでもここへきた。
自分の気持ちにさからって来た。
「ありがとうね~助かった」義母が私にそういった。
「慣れない台所仕事大変じゃったろ」
義母の妹さんがたもねぎらってくれた。
それでも素直になれない私がいた。
私は来年くるんだろうか。
ずっといかないと悪く思われるとおもってきた。
でも、一回きたらもう終わりなら
「去年しんどかったから、もうこんのやろ」と
思われるだろう。
どっちにしても悪く思われる。
それがいやで
自分の気持ちにふたをして
表面上は何もない顔を装って
来るのが正しい道だろうか。
どう思われたってかまわない。
自分に正直にいくべきだろうか。
何もお手伝いしてませんので
お米も野菜もいただけません、というべきだろうか。

