今週末、市民活動を熱心にやっている人たちと話す機会があった。
彼らは本当に熱心に市民活動をしていた。
心から社会問題に関心を持ち、権利を制約される人たちによりそっていたと思う。
彼らは、社会的にみればエリートと呼べる人で(その点、権利を制約されて困っている人とは違う)、
その主張も理論的で、筋は通っている。
だけど、僕には彼らの主張が届かなかった。
そして、そこに日本における左翼(的な思想な人)の限界ではないかと思った。
あまり具体的には書けないので、
今話題のオスプレイを題材にして振り返っていみる。
オスプレイは、(報道によれば)危険な乗り物だ。
墜落する可能性が、(従来のヘリに比べると)高い(らしい)。
だけど、オスプレイは、(軍事的には)便利な乗り物である。
(これも、報道によれば)飛行距離が長いし、たくさんの武器や兵士を搭載できる。
オスプレイ反対派の人たちの主張の根拠を簡単にまとめると、
①オスプレイは危険である、②オスプレイを配置すると戦争になる
という2点だと思う。
オスプレイは危険な乗り物で、基地周辺の人たちの安全を害するし、
軍備を拡大すると、戦争の可能性が高くなるというものだった。
では、アメリカ軍や日本国政府は、
オスプレイを墜落させて、基地の周辺の人たちを害したり、
他国を攻めようとしているのだろうか。
僕にはそうは思えない。
政府がオスプレイを配備しようとしているのは、
C国の脅威に対抗するためだと思う。
C国に対応するために、オスプレイを配備するのが適切なのかは、
技術的・政策的な問題だから、結論はわからない。
ここで、僕がいいたいのは、彼らの考えの中には、
侵害された利益しかなく、保護された利益のことがないことだ(実際にオスプレイを題材に話したわけではないし)。
「国の政策によって、権利を制約された人たちがいる。だから、かわいそう」という範疇を越えていなかったと思う。
たしかに、権利を制約された人たちはいるけど、国はその人を狙い撃ちにしたわけでない(と思う)。
むしろ、その規制によって、保護されている人たちがいる。
つまり、規制がなかったことで、困っている人たちがいるため、
その人たちを困らせていた人たちの権利を(一部)制約する規制をした結果、
権利を制約された人たちが生まれたのだ。と思う。
人権派の彼ら(僕が話した人たちに限定をしておく)の口からは、
今まで困っていて、権利を侵害されてたけど、規制によって保護された人たちのことは出てこなかった。
僕が思うに、こういう場合は、
①侵害利益(規制によって制約された権利)
②保護利益(規制によって保護された権利)
のうちどちらを優先するべきか、そして、優先方法が適切かで議論すべきではないか。
そう思ったので、②についてはどう思うか、思い切って聞いていみたら、
そんな利益は大したことない、という一刀両断なものだった。
僕としても。夜中に酔っぱらって騒いでいるお兄ちゃんより、
その周辺の人の安全のほうが大事だとおもうけど。。
これらは価値判断だから、意見の適否はおいておくけど、
僕としては、どうして、①>②なのか聞きたかったが、
結局、その答えは聞けなかった。