京成千原線の各駅巡りを終えて千葉寺駅に戻ってきて歩いて蘇我駅へ。
蘇我駅への帰り道、すんなり行けました(笑)。
蘇我駅のたった一つの欠点はホームのベンチがあまりにも少ないこと。

ホームの中央付近にパラパラとある程度です。(ゆっくりと点滴も出来やしません。)
仕方無いので柱の出っ張りを利用して・・・・・・。
大好物の「いかり豆」と「神の河」で一人でごくろうさん♪

「神の河」は色は検尿みたい(笑)ですが、味は中々。
快速を待つ間、たまに通る電気機関車をサカナに・・・・・・。


蘇我駅では、ぼーっとしていると、これに乗車してしまいそうです。

やって来た快速の前方の増結部(先頭から4両)に乗車。(写真は以前市川駅で撮影したものです。)

なお千原線起点の千葉中央駅は「京成千葉線各駅さんぽ」6/17付飲み鉄日記No161で紹介済みですので割愛します。
最後に京成千原線の建設経緯等詳細をWikipediaから引用します。
東葉線といい、北総線といい、沿線の利用者に後始末を押し付ける(高額運賃の負担で)やり方はなんともはやです。
<1.開設経緯
元々、市原市を主に通る小湊鉄道が1950年代後半に免許申請した路線である。国鉄(現・JR東日本)内房線五井駅経由で千葉市中心部・東京都心へ通勤・通学していた客を、海士有木駅から分岐する新線で直接千葉駅まで輸送する目的で考えられていた。当時、小湊鉄道線沿線では、光風台などニュータウンの造成が進んでおり、その輸送人員の増大と、沿線開発による運賃収入を当て込んでいた。
その後免許は下りたものの、小湊鉄道に新線を建設するだけの資金が無く、長らく放置されていた。1970年代に入り、住宅・都市整備公団による千葉市南東部・市原市北部にまたがるニュータウンが計画されると、当路線の免許区間の沿線になるため、ニュータウンへのアクセス路線として建設する案が浮上した。これに伴い、免許は京成電鉄や千葉県・千葉市・市原市などが出資する第三セクター会社・千葉急行電鉄に譲渡され、標準軌(1435mm)・1500V直流電化と、京成線の線路規格に揃えられ、千葉中央駅に接続し京成千葉線に乗り入れる計画に変更された。
当初は、学園前駅付近からまっすぐに辰巳台・国分寺台を経由して海士有木に至る計画であったが、この変更に伴い、ルートを1.5kmほど東側にずらし、現おゆみ野・ちはら台のニュータウン区域を通るように変更された。ニュータウンの中央ではなく、南西の端をかすめるように通っているのはこのためである。
2.移管経緯
1992年(平成4年)に千葉急行電鉄千葉急行線として大森台まで開業し、1995年(平成7年)にちはら台まで延伸開業した。バブル崩壊に伴うおゆみ野・ちはら台の開発の遅れによって、沿線人口は伸び悩んでいた。そして、土地取得費用が跳ね返った高額な運賃体系がネックとなって乗客が需要予測と比べて少なかったことや、減価償却費や金利の負担により、千葉急行電鉄は債務超過に陥り破綻した。
これにより、1998年(平成10年)に筆頭株主であった京成電鉄が経営を引き継いだ。現在でも千葉中央駅を除く各駅の駅名標は千葉急行電鉄の様式を継承している。 >
今日はこの辺で。
では。