日産大森ワークスの鈴木誠一選手(と城北ライダースの有志)が興したのが東名自動車。

後に移転する際、近所に同じ名前の整備工場があったために「東名パワード」と改名、これをエンジン部門とし、レース活動のための「東名スポーツ」などを分社化。
という流れなんですが…

以前記事にもした通り、このBMW318iをJTCCで走らせていたのが「東名スポーツ」でした。

この頃JGTCでもポルシェ911を走らせていましたが、何故外国車だったのかなぁ?と。おそらく当時プライベーターにも供給してくれていたのがBMWでありポルシェだった…ってだけなのかもしれませんが。

ただね、東名スポーツや東名パワードの母体である「東名自動車」ができた鈴木誠一選手が元日産大森ワークス所属で、没後ワークスが解体されてもしばらく日産車を使っていた経緯を鑑みると…「何か違うなぁ。」って思うんです。
~~~ ここから ifストーリー ~~~
グループAが終焉し、代わりにFF4ドアセダンを中心にした「ニューツーリング」が始まることが決定。日産は欧州的な雰囲気をもつプリメーラでの参戦を決定。
レース活動をつかさどる東名スポーツ社内でも「ニューツーリングに出たらどうだ?」という機運が高まり、車種選択という段階になると「やっぱり誠さん(故・鈴木誠一選手)の日産じゃないか?」と社内では結論が出たが、ニスモとしては「旧知の仲だがワークスマシンは出せぬ。」の一点張り。

諦めきれず、あちこちから手を伸ばし足を伸ばし人脈をたどっていき、どうにか「研究用として持っていたBTCC用マシンなら出す。」ということになり、東名スポーツからニューツーリングレースにプリメーラが並ぶことに。
そのニューツーリングレース開幕戦、サーキットへ姿を現したのは「あの時」鈴木誠一が駆ったマシンと同じゼッケン84、黄色いボディーに赤青の矢印で彩られた「東名自動車カラー」のプリメーラ。

そしてドライバーは誠一が亡くなる数年前に産まれ、奇しくも父親の後を追いかけてレーシングドライバーの道を選んだ実の息子だった。
「父さんが果たせなかった無念を、このカラーリングで…このマシンで果たすッ!」
ここから始まる「東名自動車・第二章」。
…とまあ、妄想をつらつらと書き連ねてみましたが、ちょっとワクワクしてこない?
あれやこれや書いてあることはフィクションであり、誠一さんの息子さんって…調べても出てこないので、息子さんはいないのか東名自動車絡みのいち社員なのか?はともかく、
「ただの妄想」
ですのでね。
ただ、こんなマンガ…読んでみたいなw