おフランス帰りザンス! | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

こちら1969年3月22日~23日に行われた「第10回全日本ストッカー富士300」で、結果2位・高梨忠義選手(チームZENY・画像上側)のトヨタ1600GTと、4位の「黒い稲妻」桑島正美選手(画像下側)の510ブルSSSです。











「黒い稲妻」ってのは、真っ黒なヘルメットから名付けられてるはずなんですが、スポンサー企業が許せばマシンまるごと真っ黒になることも。








こちらにリザルトを貼っておきますが、JAFの公式記録にはエントラントのチーム名とかは表記されてないんですよね。







それにしても興味深いのが、このレースで優勝した杉崎直司選手。ハコスカのイメージが強いですが、この時はなぜかトヨタ1600GTに乗ってるんですよね。







リザルトに詳しいことが載ってないのでわかりませんが、おそらくエントリーはTMSC(トヨタワークス)のはずなので、ここら辺を深掘りすると面白いかもしれないですね。



とはいえ、資料などが見つかるかどうか…。











ということで調べてみた。





この「チームZENY」ってのは、あの漫画家・赤塚不二夫先生が若くて将来性があるけどカネが無いドライバーに出資し、どんどん乗る機会を与えていたもの。
まだまだスポンサーから金を出してもらって走る時代ではなく「金持ちの道楽」だったモータースポーツに、「銭(ZENY)のかかる趣味」への出資をしつつマシンにはイヤミの横顔が描かれて宣伝にも使っていたんですよね。


そんな赤塚不二夫先生の目に止まったのが、優勝者の杉崎直司選手。他にも藤田直広選手などにも声がかかっていたようです。もちろんこのレース2位の高梨忠義選手もそう。







メーカーワークスから声がかかる前にチームZENYがシートを用意し、「こいつは良さそうだ」となるとワークス入り…という図式だったようです。









赤塚先生自身、面白い人間にはどんどん出資して世に出してあげるのが好きでしたから、その一環だったんでしょうね。芸能界で言うならば、タモリさんもその中の一人ですよね。








さて、これで「なぜ杉崎直司がトヨタ1600GTに乗っているのか問題」は解決ズバットしたのでw










それにしても、このレースのタイトルに「300」ってあるんだけど、300kmなら周回数がずいぶん足りないし…300マイルならなおのこと足りてないんで、何のことなのかわからないんですよね。




まぁ、普通「300」って入っていたらレース距離だと思うのが常であると思うのですが…。

何なんだろ?優勝賞金?←生々しいな