元々は二輪のレーサーとして活躍し、
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四輪転向後は日産ワークスドライバーとして活躍された高橋国光さん。
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ワークス一軍である「追浜組」としてR38#シリーズにも乗られていました。
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オイルショックによりワークスが解体された後は、ワークスのエース級ドライバーにもかかわらずバイオレットターボの開発や、海外レースへの参加にも積極的でした。
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この後、日産ワークスとは関係なく「F1グランプリ・インジャパン」にもタイレルでスポット参戦。
ここら辺から「ワークスのしがらみ」がなくなったのか、自由に積極的にアプローチしていきます。
「海外からマシン一台をまるごと買ってくる」スタイルだった複座時代から、「F2(F2000を含む)のシャーシにオリジナルボディーを載せる」スタイルの単座へとグラチャンが移行し、「国さん」はMCS登場前夜のグラチャンへ新興カウル・ロイスを投入したのでした。
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成績が低迷して起死回生を狙うのならまだしも、海のものとも山のものともつかない新興カウルをいきなり使うのは勇気の要ることですが、B型特有の「好奇心」がそうさせたのかもしれないですね。
同じ頃、これまたスポーツタイヤ業界に新規参入してきたヨコハマタイヤが「GTスペシャル」から新ブランド「アドバン」へと移行し、それに伴いイメージカラーの黒赤カラーをまとったマシンが各カテゴリーに登場。
新規参入したばかりで「こんなもん使えるのか?」と大多数の選手やチームが毛嫌いするなか、「国さん」はロイスをアドバンカラーへと塗りかえてGCへと参戦。
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その後ドリキン土屋圭市選手とのコンビで乗った、JGTCでのポルシェまでの蜜月関係はここから始まったのです。
そしてアドバンアルファ962Cによる、JSPC三連覇。
この時からさかのぼること20年前の「生沢VS式場」のライバルメーカーであるポルシェに元日産ワークスのドライバーが乗るなんて、今なら大炎上ものですよね。
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それにしても、本当に憎たらしいほどに強かった。
強かったけど、実際サーキットで見ていないとわからないことなんですが、国さんだけはシフトアップの際に「クラッチを切る→シフトアップの操作→クラッチをつなぐ」の流れをスプリントレースのようにスパッとやらずに「確実にギアチェンジする」やり方でつないでいたんです。
わかりやすく説明すると「クラッチペダルを蹴り飛ばしたり早押しクイズのボタンみたいに操作する」のではなく、「ペダルを踏み込んでシフト操作が終わるまで踏みっぱなし→シフトアップが完了したらクラッチをつなぐ」というもので、クラッチを切っている時間が長いのが特徴でした。
ポルシェのミッションはマツダのマシンが採用するほど「壊れない」ので有名でしたが、これが国さん流の「壊さない走り方」なんでしょうね。
そして同じ頃、グループAでは「スカイラインがサーキットに帰ってきた!」と話題になるなか、「国さん=スカイライン」のはずが三菱のスタリオンに乗りだしたのです。
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しかも相方は本職のレーシングドライバーではなく、当時雑誌編集をしながらモータージャーナリストをしていた中谷明彦選手。
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その後、中谷選手は何かと三菱のマシンを駆ってクレバーな走りで魅了してくれましたが、そのドライビングを「育てた」のも国さんの功績かもしれませんね。
思えば長谷見昌弘選手の「持ち込み企画」だったスーパーシルエット参戦でも、スカイラインに乗らなかった国さん。
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その時々によって契約にまつわる考えなどあったのかもしれませんが、常に笑顔でアッと言わせることをしてくれていた高橋国光という選手に敬意を表すことしかできません。
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そういえば、国さんといえばフォーミュラやGC以外のクローズドボディーでは頑なにジェットタイプのヘルメットをかぶっていましたね。
JGTCでNSXに乗る頃にはレギュレーションからなのかフルフェイスをかぶっていましたが、ポルシェ962Cでもジェットタイプでした。これも国さん流の考えだったんでしょうね。
チーム移籍も「なんだかおもしろそうだから」なんて理由で決めていたのかもしれないですね。
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国さんがいなくなって、もう2年ですか。
早いものです。