ん?エントリーはしたものの…。 | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

1982年のWEC in JAPANのエントリーリスト。
気になるのがゼッケン9「トヨタ・セリカ・ターボ」←ここで「9号車」とか言うような奴は観光バスかなんかと勘違いしてるバカなのでほっときましょう。
人見隆作選手が記載されているので、確実にトラストからのエントリー(そもそも人見選手はトラストの社員ドライバー)。







ということは…コレ?





コレ?














でも、確か1982年のWEC in JAPANには…これ(左端)が出ていた記憶があるのよね。
 













で、
こういうときはJAFの公式記録をYO!check!明星!するのです。

へ?
RA63だと?


これ?←何故この画像を選んだよw









確かに18R-G搭載のRA63セリカは1981年9月発売だったはずなので、1982年秋のWECには出ていてもおかしくはないんだけど…。









まだ米国IMSAで走ってる頃だと思うんですが…。














どうも腑に落ちないので、YouTubeを彷徨っていたら当時の映像があったw







確かにIMSA-GTUに出ているので「ターボ」ではないですね(仮に2000ccだとして係数1.7を掛けたら3400ccになる計算)。









ローリング中の映像でも…やっぱりRA63じゃなくてRA45が右列後ろから三台目に。








微動だにせずトップグループに抜かれるのを待つGTカーの一団にまぎれて頑張っておりますw











やっぱりコレなんじゃねえか!








結局真相はわからないですが、当初はこちらでエントリー(ゼッケンは上下反転すれば9になるし)したものの六時間の耐久レースは走り切れないのと、製作から5年近く経過して旧態依然としていたために後継車のRA45へとチェンジしたのかな?と。
それにしてもJAFが珍しく記載ミスをしていたなんてね。













ちなみに先ほどのカラーは1982年いっぱいまで使用され、翌1983年からはこのカラーリングへと変更されますが…これはこれでWECで走るのを見たかったですよね。