幻のてんとう虫。 | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

こちらは遊園地の遊具にしか見えませんが、スバルのRQ-1という立派なレーシングカーなんです。








こちらがスペック表。
強制空冷の2スト2気筒のエンジンで45psというのがどれだけすごいのかは、後ほど説明します。














元々は1963年(昭和38年)鈴鹿サーキットで行われた「第1回日本グランプリ」で、スバル360がライバルのスズライト(現スズキ)フロンテにケチョンケチョンにやられてスバルがブチキレてえげつない開発をしていたところまで遡ります。














レース用としてワークスによるチューンが施されたエンジンは、当初36psでした。それが次のテストでは38psに上がり、さらに次のテストでは40psに。そして最終的には42psにまで上がったそうです。







「42psってwショボくね?」って思うでしょ?でも、よく考えてみてよ。






360ccで42psってことは、今の660ccなら単純計算で70ps以上出てるわけですよ。それも水冷なうえに3気筒だったりするわけですから、もうあと2割増しにしたってバチは当たらないですよ。





それをターボ無しのNAで、レース用ガソリンはおろかハイオクすら無い頃にキャブレターで出してんだから、いかにとち狂ってる(最大限ほめてるw)のかがよくわかると思います。









そんなとち狂ったエンジン(おいw)で挑んだ、翌1964年(昭和39年)の第2回日本グランプリでは1-2フィニッシュ。
ただ、こんな可愛らしい姿とはうらはらにエンジンは相当尖った仕様らしく、キャブのフロート室で燃料の片寄りが起こると、すぐに機嫌が悪くなったそうです。





余談ですが、バイク用のキャブはこういうのが起こりにくいような設計なんだそうです。確かに倒し込まないと速く走れないですもんね。

とはいえ、360ccのエンジンに対応できるようなバイク用のキャブがあの当時あるわけでもないので、ご機嫌を損なわないように運転するのが求められたようですね。










こちらがその第2回日本グランプリのようす。
おそらくヘアピンからスプーンへと続く、通称まっちゃんコーナーでしょうか?












60年前とはいえ、これが鈴鹿だとすぐわかりますね。








第2回日本グランプリもドゾ~。






第2回日本グランプリで雪辱を果たしたスバルは大歓喜!
とはいえ、シケインも無くデグナーもカクカクしてない時代にポールポジションですら3分27秒フラットとかいう、今なら気絶してしまいそうなタイムで走っていたんですよね。




まぁ、60年前の360ccで今のおじさんラジアルよりも滑るようなレース用タイヤ(それもトラック用みたいに角張っているので限界付近はピーキーだったでしょうね)でのタイムですから、仕方の無いことですけどね。













さて、そんな第2回日本グランプリを制して意気揚々とマシン開発を進めていたスバルが作ったのが、最初にご紹介したRQ-1です。
あくまでも市販車の販売促進にと繋げたかったのか、スバル360に似せたボディーが乗ってますが…専用のシャーシにアルミ製ボディーを載せた「レーシングカー」なのです。




屋根をぶった切ってロードスター化しているので、どことなくポルシェ356のようにも見えますね。こうすることによって、前面投影面積を減らしたかった…のかは不明ですが、スバルの「やる気」は今のそれとはくらべものにならないレベルだというのがわかります。










そしてエンジン。
先にも触れたように、ベースからは36ps→38ps→40ps→42psと2スト2気筒NAながら絞り出すようにパワーアップしてきた集大成として、とうとう45psも出してしまっています。
ボアアップして排気量を増やせばパワーアップなんて簡単ですが、排気量はそのままにベースから約10psアップはとてつもないことですよね。












ただ残念なことに、1965年(昭和40年)に開催されるはずだった第3回日本グランプリは開催が中止され、このスバルRQ-1も日の目を見ることなく(おそらく)廃棄されたようです。












そんなスバル360のレーシングカー。
その息吹をプラモデルで味わうことができます。









ご覧のように、当時の日本グランプリはほぼナンバー付き車両による開催でした。
それを「ショボい。」と見るか、「ここから始まった。」と見るかは各自のご判断で。















さてさて、その第2回日本グランプリ優勝車。なんと現存するんです。














そこら辺を優勝ドライバーである大久保力選手ご本人の超貴重なお話がレーシングオン・アーカイブスで読めます!僕も持ってますが、マジで読みごたえしかないですw
360ccしかない「レーシングカー」で戦っていた時代の空気を、ぜひ味わっていただきたい! 

※誰だ?「媚び媚びやな?」って言うた奴は!