結局あいつらは、どこ行ったの? | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

ずっと気になってるんですよねぇ。
オイルショックによるワークスの活動休止以降、消えたマシンの行方が。
ハコスカは、どうやら情報漏洩をおそれ「全車廃棄」になった…との説がありますね。オイルショック以降に耐久レースなどに参戦していたものは、おそらくプライベーターによって製作されたマシンだと思われます。











マツダはちょっとややこしくて、そもそもサバンナで参戦していたところへ輸出専用車「RX-3」と「とりかえっこプリーズ」したので台数は増えてるはずなんだけど…元々のサバンナはプライベーターへ放出されたのか否か?
とはいえ、マツダオート東京(後のマツダスピード)は一時活動を休止したものの、グループ2ベースをベースにしたグループ5の1号車として「251」を製作したものの大失敗www←だってガワだけグループ5なんですものw


「暴走族(=街道レーサー(今で言うところの走り屋))に渡すな!」とマツダ自身が中古車まで回収・廃棄した、なんて話もあるくらいですから、251へと改修された個体以外は廃棄されたのかも。












そして、ハコスカやサバンナとは別クラスになりますが、ターボも含むセリカ。
第7技術部→第17技術部で製作されたワークスマシンは、やはりオイルショック以降には全く見かけなかったんですよね。レビン・トレノやパブリカなどもプライベーターによる製作マシン以外は、おそらく廃棄されたんでしょう。




せめて、このLBターボくらいは残しておいてほしかった。











あ、チョイチョイ勘違いされてますけど…コレは「あの緑のやつ」がベースでは無いですよ。
そもそも当時の西ドイツでラリー用のダルマで製作を開始、サーキット用にLBへとボディーを変えたものですから。








それにしても各社とも社運をかけたマシンだからとはいえ、1台くらいは残しておいてほしかったものですね。