いま敢えてグループ6を考える。 | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

後から考えてみたらグループCへの橋渡しみたいに思われますが、

時代的には「プロトタイプ(917とかP4のあたり)を忘れられないおじさんたちの見た幻影」だったのかな?と。








こうやって見ると、 チョンマゲのついたオープントップのCカーだと勘違いされそうですが、作りはいたって旧式。

ドライバーの周りだけアルミのモノコックで、あとは細い鋼管によるパイプフレーム。936の場合はこれに2.6リッターのフラット6ターボが載りますが、ボディー以外のパッケージングはほぼ956へと引き継がれます(そりゃ簡単にグループCが始められたわけだ












そしてルノーですよね。
今みても美しいフォルムは「やはりフランス車」といったところでしょうか。それともデザイナーのアンドレ・デ・コルタンツのセンス?
でもこれ、2リッターのV6ターボなんだぜ?








ポルシェ936との性能差を埋めるためか、A442からA442Bへと進化する際にドライバー周辺だけをくり抜いた「バブルトップ」を採用。空気抵抗を減らしつつ、オープントップのレギュレーションにも合致させました。








この手法は童夢-零RLやGCでの紫電改にも採用されましたが、レギュレーションの隅を突いた面白いやり方ですよね。
ちなみにこの童夢、空力的にさほど影響のないルーフへ置いたバックミラーのカバーとして申請したものの、案の定叱られたのでしたw

ルノーみたいに全部アクリルなら、まだマシだったのかも?





ほら、屋根の上に四角いミラーがあるでしょ?









で、結局普通のミラーをつけて走るハメにw















話はちょいとルノーに戻りますが…実は日本でちょいと走ったことがあるんです。

バイオレットターボを走らせていた原田レーシング(HRC)が旧式のA441を購入したのか、1978年の富士500kmに長谷見昌弘 / 星野一義 組で登場。
※画像左側のマシンです。








この頃の耐久レースは、ほぼ「GCとサバンナとサニー」しか出ていないんですがシェブロンやマーチといったGCマシンの中にまぎれて走っています。
 このレースではRクラス優勝なんですが、同じRクラス2位のシェブロンとの差は2周と「元日産ワークスドライバー」をもってしても平凡なものでした。


ただ…このマシンには諸説あり、NA説とターボ説があります。英語版Wikipediaによるよターボエンジンだと書いてあるんですが、ようわからん極東アジアの国へ販売するのならNAだとしてもおかしくはないですよね。







リザルトはこちら。















それにしても「ル・マン至上主義」だったとはいえ、グループ6はどれもこれもロングテールなので長いw








そしてデカいw←ゆえに多種多様にモデル化されたんでしょうね。



そして、ほどなくして時代はグループCという「プロトタイプ」の狂乱へ…。