苦痛をなくすことはできるのか。
苦痛を減らし、幸せを得んがために、自分は考え、努力し、様々なものに救いを求めてきた。
しかし結局のところ、富や名誉をどれほど得たとしても、愛する家庭を築いたとしても、心の中の幸福感と苦痛のつりあいは変わらないと思う。
振り返ってみれば、何事に関しても幸福感は繰り返すことはあっても一瞬だし、苦痛というものはどんな申し分のない状況に置かれようが無理矢理にも作り出されるようだ。
さればこそ常に酔ってなければならない。と、ボードレールではないが思ったりもする。あれは過ぎゆく時間に対する耐え難い苦痛であったか。
苦痛から逃れるには、何事に対しても無関心になるしかないだろう。そして、これは悟りを開くということとほぼ同じことだと思う。苦痛を滅すると、幸福感も失うだろう。
幸せになりたいと皆言う。自分もそう思うが、いったい何のことなんだろう。混乱するときがある。



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久々にライオンに来た。
美しい音楽を聴きながら自分の内に広がる宇宙を彷徨う気分。
インド哲学の梵我一如、アートマンとブラフマンの観念はしばらくしまっておく。
感覚と妄想に生きた日々は大学卒業前のインド旅行で一旦終わりにしたつもりだ。
若くしてデカダンに奔るのも早計である。
これからはエコノミストとして、いわゆる現実的な傍観者としての立場をも利用しながらこの世の真理を追究していく。鋭敏な眼を手に入れたら、ランボー、ボードレールのように、死者か神、あるいは一部の詩人や悟りを得た人間にしか見ることのできないもの、この世の真理をスケッチしたい。




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今週末、遂に茅場町の狭いホテル暮らしにおさらば。そして一室を構えし処は中目黒。

モーニングと川沿いの散歩、怠惰な午後、優雅な晩餐、静かな夜の喫茶店。あるいはひねもす我が城に籠もって、本や音楽、ピアノに埋もれるもよし。

こんなにも早く楽園を築くことができるとは。あとは放蕩なる隠遁生活を目指すのみ!



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