先週、私のことを育ててくれた恩師がお亡くなりになってしまいました。
5年前に私の所属していた医局の教授と退官されたあとも、日本の周産期をよくするべく飛び回っていました。
飛び回っている最中にも、時々お会いし、お元気そうなお姿を拝見していました。
私が産婦人科の右も左もわらないときに出会い、今専門とする、超音波医学や周産期医学も恩師が導いてくれました。
一度たりとも、そういった医学分野や勉強をするように強いられたことはありませんでしたが、いつのまにかどっぷり浸かっていました。
私の興味のあった、臍帯や胎盤異常に関する持論の一番の理解者でもありました。
恩師は、超音波医学や周産期医学を表向き専門としてやっていながら、20年以上前から医療安全や無過失医療補償制度のことを考えていたようです。それがオープンになったのは、小説「ノーフォールト」ですね。
いまでこそ全国で知れている産科医療補償制度ですが、恩師はその地盤を作ったのです。その当時、そんなことを考えていた産婦人科医はどこにもいなかったことでしょう。
産科医療補償制度は、訴訟の回避や、患者家族の支援といったことがまず連想されるかもしれません。もちろん、それは大事な目的ではありますが、それ以上に医療側の意識向上や、原因究明、再発防止に役立っているのです。
恩師は、そのことを随分前から見越していたのだと思います。今でも、その本質を理解できないひとはいっぱいいるというのに。
今、産婦人科の業界内でも巨星のご逝去に動揺しています。私も、恩師の考える医療安全についてもっと学んでおけばよかったなどと思うこともあります。
しかし、それはもう叶いません。
でも、今まで一度たりも直接ああするこうするを教えてくれたことはなく、自然に自分で掴むことを仕組まれていたのです。
きっと、何も言わずに旅立たれた恩師だから、その背中から何かを自分でつかまなければならないのだと思います。
もっともっと、先を見越し、誰もが考えつかないような、新しい、多くの母児とその家族が幸せになるようなことにチャレンジしていかなければいけないのでしょう。
私も乗り越え、伸びなければいけないのです。
きっときっと、どこかで見ていてくださると信じて。
先生に出会わなければ、今の私はありません。
先生と出会ったあとに、卵膜付着に出会い、先生との18年のお付き合いで私の人生が変わったのです。
自分も先生のようにおおらかな指導者になれるようにがんばります。 ありがとうございました。