「意味不明」とか
「なんでこんなことが気になるの?」とか

言外にある
なにがしかの意味が受け取れる。
文脈によって
私たちは「ことば」
そのものを受け取っているのではなく
そのことばに乗っかている意味やパワーを受け取っている。

「ことば」事体に意味はなくたんなる記号でしかない。

巷ではやかましいほどに
コミュニケーションが大切と叫ばれているが
コミュニケーションとは
エネルギーの交流そのものなのだ。

本当に不思議だな理解したいなと思ったときに
「なぜそのことが気になるの?」 

ちいさなことばかり気にして
だからあなたはうつっぽくなるんだよ
早くそれに気づけばいいのにと
質問者の意図や答えを持って聞く
「なんでそんなことが気になるの?」
「意味不明」
という言葉では

受け取る相手が受ける印象はまるでちがう。

両者の違いは
私たちの無意識下で使い分けられている。

聴くプロは意識下で使い分けている。

なにげない言葉
なにげない質問
なにげない声がけ

善くも悪くも
相手に影響を与えるパワーが内在している。

子どもはとくに敏感だ。
傷つきやすい人は人一倍敏感だ。
やさしい人は人一倍敏感だ。
まじめな人ほど敏感なのだ。

自分が使う言葉には
相手に影響を与えるパワーがあることを
知っておく意識するだけで

あなたの言動に変化が出る。

答えがありきの会話なのか
白紙のキャンバスでの会話なのか。

この違いを実感している人は多いと思う。
意識してみると変化が見える。
「不幸体質」について考えてみた。
幸せになりたいと強く願っているけど
幸せになってはいけないまたは、幸せになれない
と思っている人たちを
不幸体質と定義する。

「幸せ体質」について考えてみた。
自分の幸せにあまり意識をしていない。
自分は幸せで当然だと思っている人たちと
定義してみる。

幸せ体質の人は
常に幸せとともにあるので
あまり意識していない。
取り立てて、
幸せになりたいとも思わないかもしれない。

不幸体質の人は
常に不幸とともにあるから
不幸が当たり前になっているかもしれない。
でも、不幸はいやなので
幸せになりたと強く願う。
だから「幸せ」に敏感になる。

幸せそうな人を見ると
うらやましいと思ったりする。

これが
自分と人と比べることに
つながるのだと思う。

比べることで

「幸せそうだな」で、
終わればいいけど

どうして私は。。。
とか、
どうせ私は。。。。

自分と比較をしてしまったりする。

わたしなんて
こんなに不幸なんですよ~
不幸ネタで
注目を浴びる。

ああぁぁぁぁ
悪循環!

自分の体質改善には
自分の体質をまず知ることから

つい、
気がつくと
人と比べる癖がある方は
どっちの体質なのか
考えてみるといいかも。

人と比べなくても
いい人生の方が
気楽だよね。

比べて
ほっとするってことは
自分より不幸な人を見つけた時だよね。

人の不幸は蜜の味

人の不幸話に
注目が集まるのは
私より不幸な人がいる
そんな安心感をえら得るからなのかも。

私はこの人よりマシ
って思えるからなのか?

いづれにしても
不幸体質の人は
他人と自分を比べたがる
っていうか

無意識で
比べてしまっている。

比べる必要が
なくなったとき

不幸体質から
脱出できたと判断できる。


なぜなんだろう。

人(他者)を一生懸命応援すると
なぜか自分もとても気持ちいい。

池の水を集めたいと思ったら
両手で相手に水を向ける
そうすると、対流するから
自然に自分の方にくる原理

人の笑顔を見たら
自分も笑顔になれる。

なぜ、
人が喜ぶ姿を見ると
自分までうれしくなるのか。
それはミラーニューロン

人の痛みを見ると
自分のことのように
痛みを感じるという
ミラーニューロンの働き。

自分で喜んで
自分で笑顔になるのと

どこがちがうのか?

それを数式で表してみた。

Y=k(n+1)
n=自然数(喜んだ人数)
k=喜び係数
Y=喜び度


自分の喜びを
自分で喜んだ場合は(1)

自分以外の人が5人喜ぶと(5+1)

nが多ければ比例して
喜び度Yは大きくなる。


もうひとつの説

一人で一人を応援すれば
感謝、共感が得られて
承認欲求が満たされる

さらに、
チームで応援すれば
感謝、共感が得られて
所属欲求も満たされる。

すなわち
承認×達成=喜び度倍増

さらに、チームの場合は
承認×所属×達成=喜び度倍倍増

喜び度が
何倍、何十倍にも
ふくれあがる計算になる。

だから
人(他者)を応援して
達成したら
一人達成より
はるかに大きな
喜びが得られる。

これは脳内麻薬