枝によって味が違うのは
考えてみれば
当たり前のことなのだが
その違いに大いに驚く
同じ場所だから
自然条件はほぼ同じ
と思いきや
日当りがちがう
森の中に入って
探していたものは
野生のサクランボの木
実がわんさかとなっている
種類がちがうのではないかと
思うくらい
色もさまざま
大きさもさまざま
そして
お味もちがう
そうだ
人だって
同じ両親から生まれて
同じ家に育っても
顔も形も性質も
ちがうじゃない
ひとつぶ一粒
味がちがうのは当然なんだ
うっかりしていると
なんでこの子は。。。なんて
考えてしまったり
比較してしまったり
違うのが当然だってことを
頭ではわかっているのに
気がつくと
均一を求め
「平均」や「ふつう」や「同じ」を
追求していることがある
商品化の際に
日本人が特に好む「均質」「同質」
生き物はひとつ一つちがう
生き物を商品と見立ててしまわないように
気をつけなければいけない時代になって
しまっているのではないだろうか
考えてみれば
当たり前のことなのだが
その違いに大いに驚く
同じ場所だから
自然条件はほぼ同じと思いきや
日当りがちがう
森の中に入って
探していたものは
野生のサクランボの木
実がわんさかとなっている
種類がちがうのではないかと
思うくらい
色もさまざま
大きさもさまざま
そして
お味もちがう
そうだ
人だって
同じ両親から生まれて
同じ家に育っても
顔も形も性質も
ちがうじゃない
ひとつぶ一粒
味がちがうのは当然なんだ
うっかりしていると
なんでこの子は。。。なんて
考えてしまったり
比較してしまったり
違うのが当然だってことを
頭ではわかっているのに
気がつくと
均一を求め
「平均」や「ふつう」や「同じ」を
追求していることがある
商品化の際に
日本人が特に好む「均質」「同質」
生き物はひとつ一つちがう
生き物を商品と見立ててしまわないように
気をつけなければいけない時代になって
しまっているのではないだろうか