昔から人類は勧善懲悪の物語が大好きだった。
取り分け日本人という人種は、そうだったのではなかろうか。
小さな子供向けのテレビの戦隊モノや、少年少女向けの漫画のヒーローやヒロインは、いつの時代も悪なる者を挫いてきた。勧善懲悪の物語を見て読んで、子供たちは育っていった。
また、大きく成長して大人になってからも、活字の小説やテレビゲームなどでの物語の最終盤には、やはりここでも基本的に殆どの場合、正義が悪に打ち勝ち、それを以て完結するのである。
このように腐ってどうしようもないこの社会の中においても、昔からの勧善懲悪の精神の名残は多分に有る。
しかし、昔と今とを比較すると、勧善懲悪の精神はだいぶ薄れてきている気がしており、懸念される部分ではある。
文化芸術の世界ではそのようだが、我々の現実世界においてはどうであろうか。
例えば選挙という戦い。今のところ、全然、勧善懲悪は実行されていない気がする。
これまでの長き間の多くの場合、いつも悪がどういう訳か勝っている。
勧善懲悪という考え方は、夢の世界での理想であり、現実世界ではだたの幻想である、として人々に広く認識されているようである。
よく言われる「理想と現実は違う」っていう言葉に象徴されるだろう。そういった共同幻想は根がやたら深い。
共同幻想ではない、人類の本当の理想を現実化しようとすることに対し、何が何でも阻んで邪魔しているのが、自民党や中道改革連合のようなディープステートたちである。
反対に、善い理想を今こそ現実化させようと努力しているのが、反グローバリズムの参政党であり、ゆうこく連合であろうと私は位置づけている。
夢の世界と現実との境界を極力無くそう、という考え方である。
そういったこれまでの時代には全く無かった動きが、実際に日本政治の各地でちらほらと起き始めている。
従って、人々の意識深くに眠る勧善懲悪の思想を呼び起こすことや、実際に多種多様の理想を現実化させる段階に既に入っていると言えよう。
それら善い理想を実現させること、その実行こそが本来の政治家の仕事ではないだろうか。
その為には、ここでも勧善懲悪の考え方が重要になる。
悪い政治家は、選挙で尽く落とさねばならない。
善い政治家は、選挙で出来るだけ当選させねばならない。
勧善懲悪とは、何も実現不可能な理念ではない。
我々みんなが変な共同幻想を信じてしまっている為に、勧善懲悪を実行出来ず、その結果、理想的社会になかなか至らないだけである。
現代における理想的社会というのは、まずは善い政治家を選ぶこと、そういった小さな勧善懲悪の実行から始まるだろう。