岩淵悦太郎・編著「悪文 伝わる文章の作法」(1979年)という文庫本を読み終えた。
だいぶ昔の名著、超ロングセラーが角川ソフィア文庫で甦った。
文章の書き方についてを「悪文」を数多く取り上げることで指南している。
悪文というのは、そのままの意味の良くない文章のことであり、文章のどの部分が良くないのかを著者が指摘することで、読み手の文章力を高めることを目的としている。
昔の本であるのに、文章はとても読み易く、分かり易かった。
文章とは読み手に意味が分かることが第一だという考えは、私も全く同感である。
一見、文章が上手そうに見えて、実は大層分かり難いという場合は多々ある。それでは、わざわざ金を払い本を読む意味が薄い。
分かり易く誤解の少ない文章が、名文と言えるものである。
そこはまだ大きく誤解しているのが現代人だと思う。
有名な哲学書の多くは分かり難いから、難文であればあるほど名文だ、と勘違いして思い込んでしまっている。
実は全然違って、何度読んでも意味の取れない非常に難解な文章はそれこそ、その存在自体に意味がない。
ブログを日々書いていることで、文章についてよく考えるようになった。
日頃書きながら考えていたことが、この本に多く取り上げられていて、妙に納得した。
中でも私は、主語・述語をはっきりさせるということが、文章の上達に大きく関係してくると実感している。
文書を書く上での初歩の初歩のことだが、意外にみんなが出来ていない場合があるし、当たり前過ぎて、つい見落としがちのことである。
この本の中でも、勿論取り上げられていたことになる。
主語が有るのに述語がどこかヘンだと、意味のなかなか取れない文章になるし、逆に、主語がない状況であると述語の働きに意味がなくなる。
また、主語と述語がやけに離れている文章は読み難い。
尤も、英語などの外国語とは違い、日本語の文章の特徴として、主語がない場合でも文章が成立することがあることはあるが、基本的にはやはり主語・述語の明確化が文章上達のポイントになろう。
この本のような文章上達について書かれている本を読むのは面白い。
また他にも手に入れてどんどん読破してゆきたいと思う。
