今まで私は「AI」というと、人類にとって非常に良くない存在とばかり危惧して考えていたが、最近、実はそうでもないような気がしている。
無論、全体のAIを誰が使うか、ということは非常に重要な問題ではある。もし悪人が主導して自由にAIを駆使したとしたら、人類は存亡の危機、人間牧場化に至るかもしれない。
反対に、善人がAIを正しく使ったら、能力の高いAIやロボットを用いることで、人間にとっては危険な工事現場や過酷な単純労働などをさせることが出来る。
そんなことは、AIやロボットが大得意とするところだ。
そして文化芸術の世界は、やはりAIは人間には勝てないと思う。いや、勝つ負けるというよりも本質的な根本が違うから、比較すら本当は出来ない。
もしAIが幾ら素晴らしい発言や考えを持ったとしても、その価値は全くと言っていい程、無いのである。
何故かというと、AIという命のない存在が発言したり考えていることは、この世界を生きていないものだからだ。
人間には純粋な想いや強い意志という、まさしく生きたものがある。どうやら、命というものが、この世で常に価値があるものらしい。難しい哲学上の話とかそういうものでもなく!
またAIという無機質な存在を、人間とは全く違うものとして世の風潮が動けば、AIの発展と連動して、人間の存在も大きく発展する。
つまり、AIという機械には生きた価値のないことを、よく人間が学ぶことにより、人間の価値そのものは、AIやロボットのなかった時代よりも、遥かに価値のあるものに変質するだろう。生きているというのは、それだけで素晴らしい。
もう既に、悪人の時代は終わりを迎えつつある。
次は善人の時代だから、AIは善人主導で動かされる。だから、大きな心配は必要ないのではないか。
先程も述べたように、AIが発展すれば、同じように人間も発展する。素晴らしいことではないか。
ここ数年の急激な勢いで進んだAI開発は、実は怖い対象ではなかった。
これからはAIと人間の棲み分けが始まる。そして人間は、AIに対して遠慮する必要は全くないのである。だって、AIは実際には生きていない物質だからだ。
新時代というのは、本当に安全で且つ、多くの人たちが自分のやりたいことの出来る、面白く楽しい時代になる予感がしている。