世の中はお金ではない、という常識とされている言葉は、大人から教え込まれた嘘のようなものであった。
世の中はお金ではない、それは確かに真理ではあるが、実のところ、日常のそこら辺の人間みんな、世の中はお金であると信じて疑わない。
それなのに大人は社会的優位から、自分は思ってないにも関わらず、子供に綺麗事を教え込む。
そういう点だけを取っても、親や学校という大人たちが、子供たちに教え込むことには大きな矛盾がある。
そのような小さな矛盾が幾つも折り重なり、矛盾は膨らんで大きくなる。
やがて、子供の人格や精神や性格が次第に歪んだりおかしくなってゆく。
寧ろ、おかしくなってしまう方が正常な反応であり、まともであると言えよう。
昨今「目覚め」と盛んに聞かれるが、実は、かなり大変な努力と精神力が伴う行為である。
自分の過去からのそういった矛盾を、一つ一つ丁寧に解く行為でもあるからだ。
それもなしに、単純に目覚めれば終わり、というものではない。
目覚めたその後にも、もっとやらなければならない大事な作業があるのだ。
矛盾など無く、論理的に「世の中はお金ではない」ということを心底から実感出来た時、人は本当にお金という観念に縛られなくなる。
その結果、この世の不思議なことに、思い掛けない大金が臨時に入って来ることもあるのだろう。
いや、そんなことも最早、どうでもいい。
結局、人間は死んだらお金をあの世に持って行けない。
魂という「私」だけが、あの世に昇天する。
肉体もお金も、物質についてはこの世に置いていく外ない。
だからこれは、世の中はお金ではない、ということの一つの論理になる。
簡単な例だが、この様な論理で以て、この世の中の矛盾、自分を縛っている様々な観念についてを、一つ一つ解決していったら次第に面白いことになるだろう。