早いもので、11月も中旬に入っている。しかし今年の読書の秋は、余り捗っていない。
昨年よりも今年は、合計冊数を多くは読めていないことは確実である。今年の残り1ヶ月半、ラストスパートで何冊まで読めるだろうか。
読書というのは、「書」を「読む」と書くことから、当然、本などの活字を読む行為である。
しかし、この「読む」という行為は、活字をただ目で追うことの他に、活字の描き出す事柄を「イメージする」こと、この先のことや未来を「予想する」こと、書き手の「心情を読む」ことなど、様々な「読む」という能力を、我々は知らず知らずのうちに駆使している。
私は、或る時から、この世界全体の仕組みの大枠が分かったことにより、このような様々な人間の「読む」という能力が上昇した感じがした。
これまでの自分には、ハッキリ言って「読む」という行為が一体どういうことなのか、ぼんやりとしていた。
そういった自分の実情、世界全体が徐々にだが、最近になり霧が晴れたように「読めて」きた。
世情を読む。どんな風に読めば、世界構造が見えるのか。それらについても、書を読みながら自然に考えたい。
この世情を読む行為というのは、実際に書物や本の活字を読むことも勿論のこと当て嵌まり、また、ただ世界全体を俯瞰して考えるという意味もあるだろう。
これからも、広い視野や意識を持って傍観しながら、世界の動向や行く先々を「読んで」ゆきたいと思っている。