内田百閒、百鬼園随筆、下村の期待外れ | 新時代思考記

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内田百閒「百鬼園随筆」(1933年)という文庫本を読み終えた。

昔、大ベストセラーとなった古典的名著、という作品らしい。

1933年頃なので勿論、当時のことは知らない。エッセイ&短編小説という構成である。

内田百閒という文豪は今回初めて読んだことになる。なかなか良い作品だった。

確か、私の好きな作家の町田康さんが面白いと評価していたのだ。その期待に反することなく、面白い作家だと思えた。

文章自体はどちらかというと硬い部類なのだが、行間からどこからか、人間味が滲み出ている。

滲み出ているもの、それが作品全体のイメージに繋がる、面白味のエッセンスである。

全362ページ。

 

 

政倫審の下村博文の弁明に国民の期待が集まったが、非常に残念なものだった。

森喜朗や安倍派5人衆に関しての発言に注目されたが、ほぼ何も答えなかったようだ。

なぁ~んだ。

 

先日の世耕も、今日の下村も、疑惑の政治家はみんなして「知らなかった」と言っている。

でも、今回ばかりは国民の殆どが、奴らが嘘ばかり吐いていると「知っている」。

これらの点が、今までのいつもの世論とは大きく違う気がするが、どうだろう。

 

政治家のこの問題への認識の甘さと、国民のこの問題への厳しさという、2つの間のズレと乖離は今後更に深まり、様々な対立を生む気がしている。

日本国民が本当に怒ったら、政府はそれに敵うはずがない。絶対に無理である。

 

政治家への信用失墜により、税金問題に限ることなく、他のあらゆる分野へも波及するだろう。

政治というのは広く全分野に関係しているから、考えてみれば、大変な事態である。

 

今回のこの裏金脱税問題、注目度はいつにも増して高い。国会での証人喚問も開かれることだろう。

 

知らないところで目覚めは多数の日本人に今、起き始めているに違いない。