先週、東京藝大まで、伊藤俊治と菊池成孔の対談に行ってきました。

そのことについて。


エキソティシズム。 空間、時間的な距離を持った他領域。場所。

エロティシズム。肉体的な他者。

そして、

無意識。意識としての他者。


この3つに共通するのは、他者性です。

もちろん、他者について、議論する前に、自己とは何か。ということについて話すべきですが、僕は定義できないので、割愛します。


自分ではないものに、美しいものを感じる。

我々は行って見たことのない外国に思いを馳せ、過去の時代にロマンを思い、また、可愛い女の子と手をつなぎたい、と思ったりする。


それは何故なんだろう。

何故知らないものに、惹かれるのだろう。


大概に見て、我々は知らないもの、に対し興味を抱きます。

男は女性の性器に恋焦がれ、いじくるし、知らない場所に行きたがる。


もし、知らないものに対する興味、というものが人間にないとしたら。

極論になりますが、多分我々は、自分の中だけで世界が完結していて、誰かとセックスすることもなく、テクノロジーはここまで進化することもなく、戦争で人間が悲しむこともなく、音楽で踊ることもなかった。


多分、今の状況がかなり否定されると思う。


誰もが、自分やここではない、他者や他領域に目を向けることで、誰かは物理法則を見つけ、誰かは何かを見つけ、そのたびに人類にとって知らない領域が少しずつなくなってきました。


でも、我々が知りえる最大量とは、どれくらいになるんだろう。

宗教論者、科学者、哲学者、多分みんな言うことは違う。


もう、僕らは、この宇宙まで抱擁したこの世界のことを98%わかっているのかもしれないし、

0,00001%もわかっていないのかもしれない。


たぶん、そのマックスの絶対量がどれくらいなのか、僕らはわからない時点で、誰かは、すべてを知りえることは不可能だ、というかもしれない。


だから、それで悲観する人間もいて。

また、逆に、その知らない領域に興味をもつ人間もいる。


白人が、黒人音楽を搾取し、ジャズとしたり。

日本人が、ヒップホップかっけー、って日本語でラップしたり。


それは、脱構築、につながってくるんだとおもう。


既存のあり方を壊そうとしていくと。

それは原点に回帰することになる。妄想だけど。




話が外れて。


誰かが、エキゾティックなことを感じるところには、きっと何かが隠されてる。

少なくとも、貴方の知らないものがそこにある。


そして、それを体に入れると、感じたことのない快感が得られるかもしれないし、

死ぬほどの後悔をするかもしれない。


すげー気持ちよくなら、やるっしょ。