3月10日は、相馬市の松川浦マリーナ近くにある食堂でお昼を食べました。

イメージ 1

アサリやホタテ、イカやエビが入った海鮮ラーメンは、さっぱりとして美味しい味でした。
食堂の中は真新しいことを除けば、どこにでも見られる普通のお店です。

イメージ 2

お店の人に「このお店はいつできたのですか?」と尋ねたら、「30年くらい前です」との応えが返ってきました。

イメージ 3

津波で流され、今年の1月5日に再開したそうです。
窓の外には、まだ壊れた建物がそのままになっています。

イメージ 4

再開した「おいかわ食堂」は、googleのストリートビューを見ると、昨年の11月には建物ができていたようです。
おいかわ食堂地図


イメージ 5

周辺は瓦礫や船の撤去は進んでいますが、まだ再開の動きは見えません。

イメージ 6

イメージ 7

集められた船も借り置き場に置かれたままのようです。

イメージ 8

瓦礫置き場は港の近くに広大な場所を使って分別が進んでいました。

イメージ 9

イメージ 10

この辺りは福島市内より放射線量が少ないので、受け入れる自治体が増えれば瓦礫の処理も早く進むのではないでしょうか。

この後6号線を南下して南相馬市へ行きました。
この6号線は津波の堤防の役割を果たす形になり、東側は津波の爪痕がはっきりと残っています。

イメージ 11

相馬から南相馬の間で、まだ残っているのはこの船だけのようでしたが、昨年の夏頃にはこのような光景が何カ所もありました。
今回は福島市から相馬市、南相馬市の様子でしたが、この後は前回の記事の通り、南相馬市から飯舘村を通って福島へ戻りました。
そのルートを地図に落としてみました。

イメージ 12

この地図は文部科学省の第4次航空機モニタリングの結果ですが、これを見ると放射能の拡散は風によって運ばれたことが分かります。
20km圏内の南相馬市の警戒区域でも福島市内より放射線量は低く、40Kmを越えた飯舘村ではほぼ全域が年間20mSv/yを越えています。

放射能は目に見えず感じることもできません。
その示す数値は、絶対的なものではなく確率的なものなので、数字だけを見ていると振り回されてしまいます。
復興は頭の中で行われるものではなく、日常の生活の中で積み重ねられて行くものです。
自分の理解を広げ、できることを続けること。
立ち止まってはいられません。