母が旅立ちました。




2度目のくも膜下出血は厳しかったー!

それでも2~3日の命と言われたのが3年以上頑張りました。



私は2月14日…

66歳の誕生日を迎え、多くの人に祝福を受けていました。お花 チョコ お菓子






その夜「お母さん肺炎が悪化して容態はあまりよくない。早めに会いに来て!」と兄から連絡が入りました。翌日すぐ佐賀へ飛びました。

「お母さ--ん.大好きだよー!お母さんお母さん 」と何度も呼び続けました。

わかっているのか母は片目をしっかり見開き周りをぐるりと見渡しているようでした。

亡くなるまでの3日間はそれはそれは濃い時間でした。浮腫んだ手足をマッサージし、頭や顔をなで回したくさん声かけしました。


私はもはや

命を長引かせるとよりも安心して父のもとへ旅立って欲しいと願うようになっていました。


そして18日夕方、兄夫婦と私3人の見守る中眠るようにゆっくりと呼吸が止まり…母は旅立ちました。

「悲しみ」よりも闘病から解放された「安心」が大きかったです。


ありがとうをたくさんたくさん言いました。




遺影は少し若い母です!



10歳の頃に買ってもらったピアノ…毎日弾きたいです。母へは「♪めぐりあい」でお別れしました。




母の遺骨と共にゆっくりとした時間が流れ始めました。

もうしばらく佐賀にいさせてください。


悲しみはこれからかな……。




ゆめこ