20日は光が丘のヨサコイ&ぞう列車のコンサート?でした。
娘は踊りたいとヨサコイ参加。私は歌いたい!というわけで…

娘は初めて一人でヨサコイのイベントへ参加となりました。
あさ、娘の髪を上げ、メイクをし、衣装を着せるうち、ふと、私はヨサコイでの目的を果たしたなぁ、と思いました。
四年前、練習中も子供の中に入れず、私に引っ付き、お祭りの自由行動も私の傍から離れなかった彼女…
部活でくたくたでも練習に通い、小さい子達の立ち位置を気遣い、よく面倒をみている。
もう、母は応援にまわっても良さそうな気がしました。


で、午後はいよいよ本番(→o←)ゞ

緊張の中、舞台へ。
でも、幕があき、「サーカスだ!サーカスだ!サーカスがやってきたぞ!」と言う子供達の声ですっかり緊張は解けました。

最後の曲の途中でメンバーの何人かが一人ずつ、メッセージを言い、その中で、一人のお母さんの
「たとえ、非国民と言われようとも、私は自分の子供を兵隊にはさせません!自分の命を守るために、人を殺せ!とは言えません…」という言葉に胸が熱くなり(T_T)

最後に観客のみなさんと「ぞう列車よ、はしれ」を合唱してカラオケ舞台終了ニコニコ

みんなで出口へまわり、聞いて下さったみなさんを拍手でお見送りしました。
その中に娘の小学三年の時に担任だった先生がいらっしゃって、私を見つけると
「よく歌ってくれましたドキドキ」と握手してくださいました。娘が初めて『ぞう列車』を歌ったのも、私がこの歌を知ったのも先生の授業があったから…
娘が参加出来なかったことが残念に思えましたダウン


そのあと、控室へ全員があつまり、そこで初めて自己紹介パー

スタッフ含め、約120名!それぞれの思いがあり、聞きいってしまいました。
小川町の方だけではなく、嵐山、吉見、上尾、都内から、そして今回、フィリピンと中国の方も!

うれしくて涙が(ノ◇≦。)

トロンボーンを演奏してくれた青年が
「僕らのような演奏家は平和でなければ食べていけません。だから、ずっと、歌い続けて下さい(笑)」

みんなで賛同の大きな拍手クラッカー

参加できたことに心から感謝します。

実は先月で仕事を辞めましたダウン

とてもやり甲斐もあったし、楽しかったのですが、やり方についていけなかったのですガーン


私は指導するのは向いていないんだと思いました。


出来ないから障害者じゃないのかな?なのに健常者のように指導する


怒鳴られる彼等を見ていられなかったダウン
なのに助けてもあげられなかったダウン

自分の力不足を痛感したガーン

辞めて、楽になるかと思っていたら、体調がどんどん悪くなっていく…
こんな症状、まえにもあったひらめき電球と思い出したのが、出産の為に仕事をやめた時のこと…

挫折感で
何も手につかなかったダウン



明日で一週間…

そろそろ活動しなければ!
春休みが終わり、娘の入学式でした。
セーラー服を着た娘はちょっぴりまぶしくぴかぴか(新しい)母はウルウル・・・

担任の先生は体育の担当でサッカー部の顧問
バリバリ元気な先生です。
そして、先生のお姉さんはよさこいのチームのメンバーわーい(嬉しい顔)
娘も何となく親近感がわいたみたいです。


仕事の方ですが、3月末は来月準備やら送別会やらに明け暮れ、4月に入ってからは職場の雰囲気になじめず、アタフタする日々が続いています。
ただ、仲間と過ごす時間は本当にゆっくりと時間が流れていて、同じ言葉の繰り返しも笑いも新鮮で楽しいです♪

パンを作れる人は5人。ダウン症と自閉症の方たち。年齢も20代から50代と幅広く、症状もいろいろ・・・
でも、一緒に作るパンはとてもおいしそうで、みんな、この仕事が好きなんだと初日に感じました。

先週、粉を300gずつに分ける作業をしたときのこと、みんな割烹着が粉だらけになり、お互いに布巾を濡らして拭きあいました。
その時に、私は自分で拭いたのですが、右ひじに残っていたようです。
スー君がそっと寄ってきて私のひじに粉がついていると指しました。
そして布巾を持ってきて拭いてくれたんです。

それを見ていた、私を指導してくださっている○野さんが、
「スー君は人見知りが激しくて、なれない人に接するのは苦手なのよ」
と、嬉しそうに教えてくれました。

他の作業をする利用者さん達が15名ほど、中には出窓に座ったきりで辺りをキョロキョロしたり、じっとこちらを見ていたりする人もいます・・・自閉症のk君。時折目が会うので、こちらを気にしているんだと作業場から笑顔で返してました。たまたまその日彼はとても調子が悪かったらしく、自分の指を噛みつづけ、着ていたトレーナーの肩はなすりつけた血で染まってしまいました。
お昼の休憩時間、後ろから急に手をつかまれ、出窓の近くまで私を連れてくると手をヒラヒラさせてうなるように何かを伝えたがっていました。「どうしたの?」と聞くと突然、トレーナーを脱ぎ捨てて走り去りました。私はトレーナーをたたみ出窓に置きました。170センチ以上もあり、たぶん80キロちかくあるであろう彼を私はあまりちかくに寄ることはありませんでした。正直、怖かったからです。でも、私の手をひく彼は力ずくというのではなく、むしろそっと私を気づかうかのようでした。
夕方まで彼の自傷行為は続いていたようです。
作業場で、後片付けをしていると出窓に座り、お迎えを待っている彼が見えました。私はふと彼には何が見えるのだろう、と思い、昔、娘が赤ちゃんだった頃、じっと自分の手を見つめる姿を思い出しました。
上手く言えませんが、涙があふれてきました。

彼らを見ていてまず、驚いたのは、みんな違う障害をもっていることをお互いが受け入れていて相手に合わせて自然に接していることです。
例えば、歩行器を使う人に周りにぶつからないように声をかけたり、そっといすを持ってきたり。

私に対しても同じで朝の会で涙そうそうを手話をつかって歌うのですが、私が出来ないのを見ていて、ちらちら私を見ながら手話を見せてくれたり、言葉が話せないのにあいうえお表を持ってきて私の名前を指してうれしそうに笑ったり、みんなで私を歓迎してくれます。

私は神様に用いられてここへ来たと思っていたけれど、私の為に彼らがもちいられたのだ、と知りました。

これからいろいろあるだろうけれど、この気持ちを忘れずにいようと思いました。