edda時代からハチ氏とは違う「米津」という存在がいることは知っていたし、ファンでもあった。

当時や蛙屋時代は、鼻に掛かっているようでほろほろと融けるような声で、感情を乱雑に、というよりは億劫そうに吐き出す歌い方が印象的で、生放送でも高音で突っかかり笑っている姿が好きだった。

遊園市街ではその片鱗があったのだが、ゴーゴー幽霊船で今まで持ち続けていたそのイメージは崩れた。それは私にとってあまりに大きすぎるショックであったのだが、氏の進化というのか、前進であったのならばそれを見届けたいとも感じたのだ。

その感情の元、ただ感じた事をだらだらと書いていく。

少なからず、風船屋vol.4やMUSICAでの情報も織り交ぜながら。




①街


一曲目ということで、幕開け染みた曲かと考えていたのだが、そうでもなく。

変わらない日常か、その為の日常の歌か。一般論であるならば普遍の日常は幸せだ。ならばこの歌は幸せを語っているのか、と考えてみれば、氏は「不幸がなければ幸せはない」とも「その日常的な苦しみは存在するべきではない」とも言っている。だとしたら、この歌は不幸なのかもしれない。

ところで、このアルバムのコンセプトは「街」であるが、OFFICIAL_ORANGEを出してすぐの配信で次のアルバムについて尋ねられた時に「物語みたいな、ストーリー性のある物は作ってみたいと思う」と発言していたが、それがこのアルバムなのだろうか。それとも、それは「ハチ」の領分なのだろうか。



②ゴーゴー幽霊船


米津玄師としてアルバムを発売すると発表させてから、最初にニコニコ動画に投稿されたドンチャンソング。

歌詞については、如何せん米津氏本人についてとしか考えが浮かばないので省略。

この曲やマトリョシカなどの言葉の羅列を使用する歌の歌詞は、けして適当では無いらしい。風船屋での発言をそのまま引用。

「こういうのは蛇足でしかないんですけど、僕に興味が無い人は`適当に言葉並べてんじゃないのか´と言うんですね」

「それはある意味間違いではなくて、でも自分の中に規則性があって」

「その中にちゃんと許せる許せないの線引きがあってそれを一つ一つ推敲して・・・」

「・・・適当です」

と、このように少なからず本人も気にしていたようだった。この話には続きがあるのだが、それはviviに繋がる。



③駄菓子屋商売


冒頭のポップさが実に気持ちの悪い曲。そして、聴き込むほどに嵌ってしまう愉快な怪電波のような曲である。

edda時代にもはっちゃけた雰囲気の曲はあったが、それよりはるかに明るいというか、大手を振って歩いているような自信に満ちた曲調。イントロやチューインガム・ブーイングという歌詞に注目すると、駄菓子屋というタイトルに比例しない、ギャングスタというイメージで占められてしまう。

何より、氏にあんな歌い方が出来るようになった事実に、思うところが多すぎてどうにも言葉として吐き出せない。



④caribou


サビは「Pandora_Chess_Box」のアレンジだろうか。

歌詞については、風船屋vol.4の後だと、如何せんwowaka氏と米津氏の論争ばかりがちらついてそれを曲に繋げてしまう。これこそ主観だ。



⑤あめふり婦人


全体的に御伽話調で、他の曲とは違い人間の視点からの世界か疑って掛かるような歌詞である。

歌詞カードの絵も手伝って、野良猫視点のように思えてくる。もしくは、娼婦。



⑥ディスコバルーン


幽霊船とは別ベクトルの、氏の本音のような曲。

こうもはっきりと歌詞に「嫌いだ嫌いだ あなたが嫌いだ」と書いたことに驚きを隠せないが、それが素の部分なのかと掘り下げてみたくなる。

なにより、「何も知らない夢のまま/死んでいけたら幸せだ」というサビのこの一節は、風船屋でも発言していた「音楽を作っている人は死ぬことを知らない」「意識していない」「何も知らないで死んでいくのが一番幸せ」という本心の変形では無いのではないか、と感じた。



⑦vivi


この「diorama」というアルバムの中でも異色にして最も際立つ楽曲だと断言できる。名曲。

私がハチ氏に惚れこんだのは「Persona_Alice」だが、別ベクトルでそれと同等の衝撃を受けた。

何より驚いたのは、あれだけ捻くれた歌詞や世界観で多数の厨二病信者を付けた氏が、「愛してる」というj_popでも食傷気味の歌詞を用いたことだ。しかし、それはそういう意味の驚きでは無く、「愛してる」という言葉すら内包させるストレートな歌詞にあった。

確かに、今まで通りに動物や無機物を使った比喩は盛り込まれている。しかし、目には見えないながらもそこにははっきりと何処までも純粋な想いが注ぎ込まれているのだ。発表当初は、米津氏が昔の恋人へと宛てたものだと考えたし、今でもそれは捨てきれない可能性だ。けれども、失恋を疑われた件の五時間にも及ぶ生放送を記憶している身としては、この曲はあまりに純粋すぎるのだ。完璧な美しさなどないと氏は言うが、それでもこの歌はあまりに美しいのだ。

想いを込めたものが人の心を打つ典型を、垣間見たのは紛れもなくこの「vivi」という歌だった。

さて、幽霊船の続きだが、この曲は、幽霊船やマトリョシカといったああいう類しか作れないのでは?という意見に対して「なにくそ」と思い作った面もあるらしい。

「`訳わからない曲しか作れない´という意見があって、それに対する説得力を示しときたくて、そういう意識の元生まれました」

「それが全てでは無いけれど、なにくそ精神というか、作れないわけじゃないんだぞ、と」

という風船屋での言葉は、子供らしくてとても面白かった。

何はともあれ、とても好きな楽曲だ。恐らく、一般受けも良いのではないかと。

というか、これが氏の素であったならばと。



⑧トイパトリオット


パトリオットという言葉自体の意味は「愛国者」というものだが、テーマが「街」である以上、そこには矛盾が生じているのではないだろうか。

氏の楽曲は歌の主人公=語り手側が消えるか、それをただ見守るという場面が多用されているが、この曲の歌詞もそうであると言える。しかし、それにしては歌詞が簡潔し過ぎているように感じるのだ。「トイ」パトリオットというのは、玩具の自分か、はたまた玩具を持った子供が自分であるか。どちらにせよ、自分という存在が個人として完結出来る存在なのだ。その個人が持つ世界が、見る世界が、愛の対象であり、「僕」がパトリオットである由縁なのではないだろうか。



⑨恋と病熱


ニコニコ動画に投稿された、南方研究所と「米津玄師」の作品。

そもそも南方研究所は「ハチ」をメンバーに組み込んでいるコミュニティだと認識していた為か、米津氏のPVを作るということには大きな違和感があった。だからこそ、作品としてのクオリティは今までのPVより高いのにも関わらず、消化不良と感じてしまう。例え南方にPVを依頼したのが米津氏であったとしても、この楽曲もPVも、ハチ氏の影がちらついてしまうのだ。残念なことに。

曲自体は、上でも書いた通りハチ氏寄りの作品であった。雰囲気としては眩暈電話に近い。ともあれ、ラストの壊れたラジオのようなエフェクトというか、演出は非常に面白かった。伝わらない「許してほしい」の歌詞には訴えかけてくるものがあった。



⑩Black_Sheep


駄菓子屋商売と同じく、クロスフェードではあまり好きではなかったというのに聴いていく内にいつの間にか惹きこまれていた楽曲。

夜の曲である為、朝を色濃く出す「街」と対の曲ではないだろうか。

edda時代の「米津」氏が色濃く出ていたように感じる。酩酊したようなふらふらとした歌い方は昔もものに最も近いのではないか、と心が踊った。

歌詞や全体の雰囲気は、全てが夢であるようで、実際は眠れぬ夜の無駄な思考や浮遊感、不安などの人間的なものだ。前半のどろどろした雰囲気がアウトロで一気に払拭されるという構成がとても好きである。



⑪乾涸びたバスひとつ


初めて聴いたのは、配信での弾き語りだった。歌詞やメロディはふらふらとしていたが、目を閉じると薄っすらと夕暮れ時が浮かんできた。なにより、サビの「何でもないような秘密つくって/二人は共犯者になって」というフレーズがずっと頭に残り、口ずさむことがやめられなかったほどに一気に惹きこまれた曲であった。その為、クロスフェードで曲名を知ったときには興奮し、また、着うたフルも真っ先にDLしてしまった。

世界観は、始めは「白痴」と同じものかと考えていた。彼の二人の為の歌であると、そう考えていたのだ。しかし、「白痴」はハチ氏の領分であること、「恋と病熱」のPVにバスが映し出されたことから、この曲は恋と病熱の対の存在なのではないかと思わずにはいられなくなった。

「どこにもいかない」自分と、「何処にも行けない」わたし。

「秘密にしてね、約束しよう」と「何でもないような秘密」。

「君はカメラで何を撮る」という問いかけに対しての「大事に大事にしていたのに/二人を写した写真がない/どこにも」という事実。

そして、米津氏の絶叫のようなシャウトを、恋と病熱のPVの少年が頭を抱えるシーンに被せたらと。

これは考察にすら成りえないただの妄想でしかないが、答えがどうであれ報われていない曲ではないかと思わずにはいられない。



⑫首なし閑古鳥


祭りのようのどんちゃかした曲だが、アコースティックな音や歌詞を見る限りはメロディで大きく印象を変えることが出来そうな気もする。Bメロの米津氏の軽快な歌い方が可愛らしい。



⑬心像放映


歌詞カードの言葉の配置に僅かな違和感を抱いた。統一性がないというのか、浮かんだら消えていく白い思考のようで、それだけでも曲を表しているように感じられた。

曲自体は、diorama中で最もポップ。だが、それ故に捨て曲かと問われればそうではなく、他の曲同様に根底に敷かれた不協和音やノイズ、目を覚ますように挟まれた力強いフレーズなど、細かい細工が聴き所へと昇華している所がとても面白い。

歌詞から見て、「ゴーゴー幽霊船」の対の曲だろうか。



⑭抄本


クロスフェードでインスト曲かと噂が飛び交った曲だが、実際のところ、イントロで曲の持ち時間の半分を使うのであながち間違いではないような。

「街」の対でも続きでもない、そして幕切れでもない曲。

何の変哲もない、誰かが生きて、誰かが死んで、そして何事も変わることのない、ささやかな毎日が住む世界の、くだらなくも愛おしい1コマが「抄本」である。誰しもがこの本の登場人物であり、筆者と成りうるのだと、透明な存在にでも脅迫されているような錯覚の陥る。根底にあるのは、やはり幽かなノイズだった。

何気なく目を閉じることが「終わり」であるならば、この曲は「終わり」に相応しい楽曲だ。