シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」 -132ページ目

葛飾区で働く社長

葛飾区で印刷関係の会社を経営されている設楽さんという方がいる。

彼は最近、以前からの「夢」だった「オリジナルブランド」の「Tシャツ」を造る仕事にチャレンジしている。

今までに何度もチャレンジしようと思いつつ、「でも、失敗したらどうしよう・・・」と考えてしまい、なかなか踏み切れずにいたらしいが、遂に、その一歩を踏み出したそうである。ご自身のブログでそのことを書いている。http://ameblo.jp/hound-dog0502

ところで、その設楽さんが一昨日、Tシャツの「襟」のところにつける「織ネーム(オリジナルのタグ)」を発注したらしい。

彼のブログでそのことを知り、僕は何だかワクワクしてきた。何故って、自分の会社の「ブランドネーム」の入ったTシャツを造って、実際に「売る(お金を払って買っていただく)」というのだからカッコいい話しである。

その彼が、僕のブログを読んで「少しだけ勇気をいただいた気がします」というメールをくれた。

これは、僕にとっては、とっても嬉しいことだ。

何故なら、企業理念に「夢を実現する」と詠い、人々に「勇気と自信」を持つきっかけを提供したいと明言している僕が、ほんの少しではあるかもしれないが、そのことを実現できたような気がしたから。

自分自身も含めて「自分の夢の実現」に向けてチャレンジ「し続ける」人が増えれば、日本はもっともっと素晴らしい国になると思う。

そう、失敗しても死ぬわけじゃない!!!

平和への誓い

8月6日は、広島に原爆が投下された日である。

その広島で行われた平和記念式典で、小学生による「平和への誓い 」が読み上げられたそうである。僕のブログに時々コメントをくれるリンドバーグという人が教えてくれた。

そこには、「命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです」という一言が含まれている。

とても考えさせられる一言だ。

小学生でさえもがこのような考え方ができるのに、どうして、大人がその見本になれないのか?そこに問題の本質があるように思う。

子供ができてから、人の命の尊さや生きていることのありがたさを、よりいっそう感じるようになった。

月並みなことであるが、先人への感謝を忘れないようにしたい。お盆には、両親の墓参りに行こうと思う。

「投資する勇気」と「責任を引き受ける覚悟」

今日のタイトルは、僕のブログに毎日コメントをくれる「坊主頭のりょうへいさん」が教えてくれたメルマガに書いてあったことである。

そのメルマガの作者の主張は、この2つ以外はすべて「外注」してしまっても構わないのではないか?というものである。なかなか思い切ったことを言う人だが、確かに一理あると思う。

また、その方は、「経営者やプロワーカー(プロフェッショナル)にとって、具体的且つ今すぐの成果が見えにくい、『頭脳のアップグレード』『感性を磨く』『先端情報の入手』の3つに「思い切った投資をできる勇気と最終判断に対する責任」を持つ「覚悟」こそが、最も必要な資質ではないかとすら思えると書いている。

これには痛く賛同できる。

起業や経営に関わらず、「人生は意思決定の連続」であり、「可視化できいない価値」にどれだけ投資できるかが、結果を左右するということだろう。

それを楽しみながらやれる人は、勝負強いと思う。

カリスマ・キャピタリストが語る「成功するベンチャーの条件」。

月間7,000人!!の読者を持つカリスマブロガーでもあるグロービス・キャピタル・パートナーズ(GCP)の小林雅さん をゲストにお招きし、「イノベーション ~ ベンチャーキャピタリストの視点 ~」と題して、法政大学ビジネススクールとの提携によるオープン講座(D&I オープン講座)の第3弾を開催することになった。

D&I オープン講座の初回(ゲストは前刀さん)に受講者として小林さんが来てくれたことがきっかけで、今回の話しになった。

インタースコープがGCPからの投資を受けて以来、小林さんには、起業家(平石)と投資家(小林さん)という関係でお世話になってきたが、こういう試みは今回が初めてだ。

GCPは、国内のVCとしては1企業あたりの投資金額が大きいこと、ハンズオン投資を基本としており必ず取締役を派遣すること等が特徴で、ワークスアプリケーションズやGDH、ネットエイジ等、素晴らしいベンチャー企業の育成に携わっている。

そのGCPのパートナーである小林さんをゲストに迎え、VC投資の判断基準、成功する起業家やベンチャー企業の条件等、今までは投資される(た)立場にあり、なかなか聞き難かったことを、ストレートに聞いてみようと思う。

僕のブログを読んで頂いている方々にも是非、聴講して欲しいセッションである。
http://college.dreamvision.co.jp/entry/060901/01.html

宜しくお願いします。

ネットエイジ伝説のインターン「小室淑恵さん」

僕のブログを読んで頂いている方の中には、小室淑恵さんという女性をご存知の方も多いことと思う。

彼女は、ネットエイジでのインターン時代、営業成績の約90%叩き出したことで有名である。大学卒業後、資生堂に入社し、わずか2年目で本社に呼ばれ、経営企画部に配属になるなど、その美貌も相俟って、マスコミからも注目されている。

その小室さんがつい最近、「仕事と子育ての両立」をテーマとした株式会社ワーク・ライフバランスという会社を立ち上げた。いよいよ起業である。

彼女は、資生堂を辞めた後、日本アンチエイジング研究所という会社のサラリーマン社長として経営にあたっていたが(20代でサラリーマン社長というのも凄い!!!)、考えるところがあったらしく、この度、自分で「起業」をされた。日本アンチエイジング研究所の株主の皆さんも快く送り出してくれたそうである。

その小室さんをゲストにお招きし、法政大学ビジネススクールとの提携による「D&I オープン講座」で、「子育てとキャリアの両立」をテーマに、特別編としてセッションを開催することになった。

「起業」というと、とかく「徹夜」や「ハードワーク」といったことを想起されると思うが、今の彼女は、生後3~4ヶ月のお子さんの育児と起業(経営)を両立され、とても生き生きと仕事をしている。

彼女が何故、起業に至ったのか? 自分らしく生きる・働くための秘訣、そして、どのようなビジネスを立ち上げようとしているのか? について、熱く語ってくれることになった。

同じ「子育てアントレプレナー」として、僕とのQ&Aセッションも予定している。

年齢や性別に関係なく、興味のある方は是非、受講して頂ければと思う。
http://www.dreamvision.co.jp/

宜しくお願いします。

人間は実に多くの人に支えられて生きている。

昨日の僕のブログ(すべてを受け入れる)を読んで心配されたのか、何人かの方から励ましのコメントを頂いた(ありがとうございます)。とても素晴らしいコメントなので、他の方にも是非、読んで頂けたらと思う。

その中のひとりは、リンドバーグさんといい、僕が以前、経済産業省のDREAM GATE という起業家支援プロジェクトでブログを書いていた時も、何度かコメントをくれた方だ。残念ながら、その方の本名を知らないので、僕が知っている人なのか?お会いしたことがない人なのか?は分からない。

これも、つい先日だったが、僕が社外取締役を務めるラソナという会社の石川さんという方とのメールのやり取りで、「最近の平石さんのブログには『病の気』が・・・。体調を治して、いつもの自信に満ちた平石さんに戻って下さい!!」という励ましを頂いた。

その石川さんに僕は、「いつもいつもやる気満々で自信に満ちあふれているっていうのは、何か不自然だと思うので、ありのままの自分を書いているんです(笑)」と返事を書いた。

また、僕がブログを書く際には、自信に満ちあふれていることを書く時は勿論であるが、やや落ち込んでいることを書く時も、そこに何らかの「前向き」な姿勢を盛り込むようにしており、読者の方々に、何かのヒントにして頂けるよう努力をしている。

僕のブログを読んで、かえって落ち込ませてしまったり、何も得るものがなく、時間を無駄にさせてしまったりしては申し訳がないから。

話しは変わるが、ブログを書くことの効用として、自分の精神状態やバイオリズムを自覚することができるということがある。

そういう意味で、今日の「坊主頭のりょうへいさん」のコメントにある「春夏秋冬」は、極めてタイムリーというか、なるほどと思った。

僕も毎日、勉強させて頂いている。感謝。

「すべて」を受け入れる。

言うのは簡単だけど、実際には難しい。

数日前からだいぶ良い状態になってきたが、ここ最近は精神状態が不安定な日々が続いていた。原因は色々あるが、その根本は「焦り」「嫉妬」「劣等感」のようなものだと思う。

そんなタイミングで、ある人からトラックバックを頂いた。そのタイトルは、「比較→競争→焦り・嫉妬」というものだった。

その方は、以前にも僕のブログにコメントを下さったり、トラックバックしてくれたりしたことがあったが、きっと、最近の僕のブログを読んで「こりゃマズい状況にあるな・・・」と思い、さり気なく諭してくれたのだと思う(心からお礼を申し上げます)。

彼(だと思う)は現在、中国に住んでいるそうだが、臨床心理士か精神科医のような仕事をされているようだ。

その方が「比較→競争→焦り・嫉妬」というタイトルで書いたブログに、次のようなフレーズがある。

「焦りを感じるときは、自分の進んでいる方向性に何か疑問を持っているときか、同時に多くのことを得ようとしているときです」。

ドリームビジョンを始めて約5ヶ月になるが、僕は「同時に多くのことを得よう」としてきたのかもしれない。それが、精神的な疲労を生み、自ら精神的に不安定な状態に陥れてしまっていたように思う。

ドリームビジョンを創業すると決めた時、100人の会社から数人の会社に戻ることは頭では分かっていたが、実際にそういう環境になってみて、そのギャップが何を意味するのか?が身を以て分かってきた。

銀行に行くのも、郵便物に宛名の書くのも、増資の書類を準備するのも自分でやる必要があり、その分、事業のドライブに直接的にインパクトがあることに投下できる時間は少なくなる。そして、そのことが焦りを生んでいく。

そうこうしているうちに、ネットベンチャー仲間がどんどん上場していき、自分だけが取り残された気持ちになったりする。

そんなことが悪循環を生み、どんどん、精神的に不安定になっていく。

こうして整理してみると、完全に「バッド・スパイラル」である。

でも、こうして気がつけるようになったことが、僕にとっては成長である。遅まきながら、43才にして。極めてお恥ずかしい。

一方、自分で自分を擁護するならば、インタースコープを立ち上げた頃と違い、今の僕はひとつのことに集中できる環境(立場)にはなく、自分の力を「複数の対象」に同時並行で注入する必要があり、肉体的にも精神的にもタフな生活を余儀なくされてきたことは否めない。

まじめな話し、こういう頑張り方(質の異なる複数の対象に同時にエネルギーを投入すること)には、かなりの集中力と体力が要求される。それ故に、ちょっとしたことが、精神のバランスを乱すというのも事実である。

ところで、昨夜は、子供があまりよく寝てくれず何度も起こされた。尚かつ、今週は妻が大学院で朝が早いので、今朝も僕が悠生を保育園に送っていき、ドリームビジョンとインタースコープを2度も往復し、急なアポが入ったりで、最近でも、特に慌ただしい一日だった。

話しは変わるが、今日は移動が多く、尚かつ、交通の便が良くないことが分かっていたので、朝から自分の車で動いていた。

その中で、今日のブログのタイトルとして頭に浮かんだのが、「すべてを受け入れる」というものだった。

このブログも本当は朝のうちに書きたかったが、その時間が取れないという「現実」を受け入れることが大切である。

正直に言って、体調はボロボロであるが、心の状態はだいぶ良くなってきた。そのこと自体に感謝したいと思う。

追伸:今週の金曜日は、久しぶりにゴルフに行く。体力面が心配ではあるが、精神面での進歩を期待したい。

まわり道

今日の「情熱大陸」は、アンジェラ・アキというシンガー・ソングライターの特集だった。彼女は、日本人の父親とイタリア系アメリカ人の母親の間に生まれたハーフで、出身は徳島県だと言っていた。

彼女のことは、名前とCDジャケットぐらいは知ってはいたが、番組を見るまで、詳しいことは知らなかった。

彼女は、27才の最後の日にメジャーデビューをし、来月で29才になるらしい。18才の時、当時、ワシントンDCに住んでいた彼女は「音楽で生きよう」と心に決めてから、10年間の「下積生活」をしてきたという。

デモテープを色々なところに何度も何度も送り続けては何も起こらない日々を過ごしていた時、日本のあるCMディレクターの耳に留まったことが、デビューのきっかけになったそうだ。

番組の最後に、ナレーターが「彼女は『まわり道』をしてきたかもしれない。でも、必要だった(のかもしれない)」と言っていた。

自分のことに置き換えてみると、最初の起業の頃を思い出す。

「徒手空拳」で始めたことなので、ある意味、当然のこととも言えるが、とにかく鳴かず飛ばずの9年間だった。正確に言えば、7年間だった。

最初の2年半間は、自分が勤めていたコンサルティング会社やコネのあった広告代理店の下請けをしたりで、起業したとは言っても、個人事務所に近いようなものだった。

それでは意味がないと思い、真夏の暑い太陽の下を新規顧客開拓で歩き回ったりもしたが、身を結ばなかった。今にして考えると、それは当然のことで、自分自身が「そんなことをしても、決まる筈がない」と思っていたのだから、決まる筈がないのである。何故なら、決めるまでの「努力」をしないのだから。

そんな僕を救ったのが、アップルコンピュータというかマッキントッシュだった。マックを使って「DTP」の仕事をし始めた。そういう仕事ができないか?(できるでしょ?)と言って、仕事を頼んできた人がいた。ラッキーだったとしか言いようがない。

それから数年間は、売上も伸び、多少ながらも利益も出るようになったが、起業してから5年半が経った頃、僕は、僕を救ってくれたDTPの仕事を「バサッ」と止めた。自分が本当にやりたい仕事ではなかったからだ。

その時の僕の会社は、売上の7割を「DTP」で稼ぎ出していたので、そのDTPを止めることは、普通に考えれば自殺行為に近い。僕にその決断をさせたのは、あるクライアントの責任者が、僕に「コンペ」を要求してきたことだ。

「勝ち目がない勝負をしても意味がない」。そう思って、スッパリと止めた。

そうしたら、案の定、翌年からの約2年間、僕の人生で最も貧乏な時期を迎えた。夫婦ふたりで年収が「300万円」あるか無いかだった。妻は、週に2~3日を「派遣社員」として働き、尚かつ、昼休みに公衆電話(まだ、今ほどケイタイは普及していなかった)で留守電を聞き、僕の会社の仕事もしていた。

そんな僕らに転機が訪れたのは、1997年10月だった。伊藤忠商事の新規事業開発を手伝うことになった。

その仕事(新規事業)は成就しなかったが、そこから僕は多くのことを学んだ。お金はもちろんありがたかったが、その仕事をすることによって、僕の仕事のレベルが格段に上がっていったと思う。そして、ネットビジネスにも関与するようになり、いつの間にか「自らネットビジネスを開発する」ようになっていった。そして、2000年3月にインタースコープを創業した。

ところで、昨日、ETIC主催の「cafe」というイベントで、インタースコープを創業した頃に何度か会ったことがある元アクシブドットコムの尾関さんと会った。本当に久しぶりだった。

当時の彼の印象は、何となく「軽い人」という感じだったが、それは昨日も変わらなかった(笑)。でも、彼の中で大きな変化があったのだろうと思わせる発言があった。

「今までの僕は、心を開くことをしなかった。それは、傷つくのが怖かったから」と言っていた。

その彼を変えさせたのが、沖縄との「出会い」だったという。

僕は沖縄に従姉妹がいるので何となく理解できるが、彼が言うには、沖縄の人は「本土」と「沖縄」の間で苦しんでおり、本土の人間に対して疑心暗鬼であったり、自殺率が高かったリと、そのイメージとは裏腹に、病んだところが多々あるらしい。アイデンティティに苦しんでいるのかもしれない。

その沖縄の人達が、彼に「心を開いて(彼を信じて)」くる姿をみて、彼は「この人達のために何かをしたい」と思うようになったという。

その結果、彼はアクシブドットコムを売却して得た資産のすべて注ぎ込んで、沖縄の土地を買い、新しい事業を立ち上げようとしているらしい。

女優の「山口もえ」さんと結婚したりと世の中に派手な話題を振りまいている傍ら、彼の中に大きな変化が起きていたことは、当然のことながら知らなかった。

そんな話しを、ETIC代表理事の宮城さんに言ったら、「いや、奴は昔からそういうところがあったんですよ。昔は、ポーズを取っていただけなんです」という返事が返ってきた。

尾関さんが「心を開く」勇気を持つために、今までの人生が必要だったのだろう。

その彼から、メールが届いた。とてもやわらかい感じがした。

近いうちに、彼のお店に行ってみようと思う。

自分自身の「人生のまわり道」の意味を考えるために。というと大袈裟であるが・・・(笑)。

追伸:「出会い」には、いつも何か「胸騒ぎ」を感じる。そんな「出会い」を大切にしていきたいと思う。

1年後の自分へのハガキ

今日は、ETIC主催の「cafe」というイベントに参加してきた。

先日のブログにも書いたが、吉持という方の意志を受け継いて行こうという趣旨で行われているイベントで、今年で8年目になる。

そこで、1年後の自分に向けたメッセージをハガキに書き、ETICに預けてきた。

昨年の僕が今年の僕に向けて書いたメッセージは「夢を実現する」であったが、その夢を実現するための一歩を踏み出した今年は、昨年とは違って、かなり「現実的なメッセージ」を書いた。

今年の自分へのメメッセージは覚えていなかったが、来年への自分のメッセージは、きっと覚えていると思う。そして、今日書いた自分へのメッセージを忘れずに、来年の夏を迎えるように努力しようと思う。

「夢」を持つこと。「目的意識」を持つこと。それがすべての始まりだと思う。

何故なら、そのことにより物事の「優先順位」が明確になるから。

来年の「cafe」に向けて、一歩ずつ、着実に前に進んで行こう。

追伸:昨夜は、ドリームビジョン初代インターンの山田くんの壮行会兼第2回交流会を行った。山田くんは、とても良い表情をしていた。彼の「夢」の実現に対して、ドリームビジョンでの約半年のインターンが何らかの形で役に立ったようであれば嬉しく思う。

家族が織りなす温かさ

数日前から喉をやられてしまい、今朝は掛かり付けの近所のお医者さんに行った。

久しぶりに、悠生と妻と僕の3人(家族全員)で行ったのだが、そこに、ある親子連れがやってきた。

お父さんはアメリカ人(らしい)、お母さんは日本人、長女は日本人(ぽい)、次女はハーフ(アメリカではダブルとも言う)。長女はおそらく、以前の旦那さんとの間に生まれたのだと思うが、父親によくなついていた。とても微笑ましい家族だった。

この家族が入ってきた時、お母さんがネットからプリントしたと思われる「地図」のようなものを握りしめていたので、わざわざ探してきたことは分かったが、日本に住所はなく、広尾にある「ニュー山王ホテル」に泊まっているらしかった。そのホテルは、米軍関係者用で、僕も知り合いのアメリカ人に連れられて何度か行ったことがある。

小さな病院(医院)なので、診察室から、僕らがいつも看てもらっているお医者さんの息子さん(2代目)とアメリカ人のお父さんが、何やら「英語」で話しをしているのが聞こえてきた。

ここの息子さんは、ハーバードに留学経験があり、流暢な英語を話していた。ニュー山王ホテルで、英語が話せるお医者さんのいる病院や医院を紹介しているんだろう。それで、お母さんが地図を片手に探してきたということだと思う。

そんなことはどうでもよいのだが、診察が終わって待合室で会計を待っている時、日本人と思われる上の女の子が悠生の指先を触ったりして遊んでくれた(日本語はあまり話せないと言っていた)。大人だったら、決してそんなことはするはずがないし出来ないが、子供は子供が好きで、知らない相手でも無邪気にその瞬間の友達として遊ぶことができる。ステキなことだ。

子供のそういう純真さは、実は、僕たち大人にも恩恵をもたらしてくれる。

僕らが住んでいるマンションでも、小さな子供がいる夫婦同士は自然と仲良くなっていき、ロビーや駐車場等で楽しく談笑している人達が多い。

僕達は結婚してから11年間はふたりだけの生活をしてきたので、家族の温もりというような感覚を忘れていたが、悠生が生まれてから、夫婦二人では感じられなかった、言葉にはできない「温かさ」を感じている。

僕は、仕事が好きだし、何よりも「創業」することが好きであり、ビジネスで成功したいと強く思っているが、こうした何気ない日常の幸せを大切にしたいと思う。