前回の袁世凱の言を見るに、なんか必死だねという感想しか出てこない私は、多分ひねくれ者です。( ´H`)y-~~

さて、今日も杉村臨時代理公使から陸奥外務大臣への、1894年(明治27年)6月8日付『機密第82号』の別冊から、まずは「杉村臨時代理公使之書翰」とされる『別紙甲号』から見てみたいと思います。
ただし、何故か欠落してるページがあるんですよねぇ。
ま、取りあえず。

慰廷仁兄大人如面啓者日來屡承

聞照知會一切感泐莫名至此次奉派貴國兵未悉業由山海關登程來韓否并聞貴國兵除到牙山下船分另有到群山下船之隊云々此果屬確毫否又聞於前日貴國理事前赴南地時率領七八十名貴國人内有帶軍器者云果如是則莫非貴國兵若干業有先計此地而然者耶此原屬據風聞而測度而己即希將前關各節詳細見示以解迷惑萬幸々々大鳥公使大約可於明後日或後日抵仁方此公忙之際瑣續情神之處客再晤分也肅此專布併候 (以下欠文)
慰廷ってのは、袁世凱の字(あざな)らしい。
内容的には、清国軍を派遣するって聞いたけど、もう山海関を出発して朝鮮に来てるってマジ?
それから、牙山に上陸する部隊の他に、群山で上陸する部隊も居るって聞いたけど、マジ?
それから、噂だと清国の理事が南方に向かう時、武器を携帯した清国人7~80人を率いていたっていうけど、最初から清国軍がその地方に行くのを計画していたんじゃねぇの?
まぁ、全部風聞によるものなんだけど、回答ヨロ、と。

山海関を出発した話は、2月6日のエントリー等で見られ、2月18日のエントリーで力武商店の屯浦出張員が、6月6日には水原沖合に来てるって言ってましたなぁ。

次の、群山に上陸する部隊云々ってのはちょっと見あたらない。
強いて言えば、2月6日のエントリーで大院君が「法聖・群山・木浦の3ケ所より来る事確かなり」と言ってたくらいかなぁ。

最後の清国理事が兵を率いて云々の話は、2月7日のエントリーで見ることが出来ますが、7~80人ってのは船から下りた仁川兵であって、戦地に向かう兵の話ではありませんでしたね。

続いて、これに対する袁世凱の回答、『別紙乙号』に移ります。

杉村臨時代理公使の書函に対する袁氏口頭の回答

袁氏曰く、只今杉村大人の書函に接したるも、書柬の回答にては盡し兼る所もあれば足下の来館を乞へり。
因て、先づ右書翰に対する回答を為すべし。
我国の兵は、本日を以て聶氏兵500名を率ひ塘沽を発したれば、明日は到着すべく、又葉氏は1,100名を率ひ明日山海関を発する筈に付、明後日は到着の筈なり。
而して、右は孰れも牙山より上陸の手筈なり。
尤も、最初は群山へ上陸の方好都合なりしも、全州既に陥りたる後なれば、最早全州に向ふの必要もなく、又当方より牙山に出迎之人員万端の仕度整ひ居りて、群山には何の用意も無之故、無論同処に向ふべき筈なし。

次に我理事を公州へ出張せしむるに付ては、通信の為め電信技手1名、此に属する人夫若干、其他賄方及従者を召連れたる外、当館より巡査4名及街上取締の巡査12名を弓率したれば、合計20余名の人員を連れ行きたるのみ。
決して7、80名の多数の人員を引連れ行きたるにあらず。
又軍器携帯云々は、只だ公州着の上、唐理事は前途探偵の為、前述引連れたる巡査と共に出張する事あるべければ、万一の準備の為め銃器を携帯せるまでにして、兵丁云々とは更に関係なき次第なり。
右様の銃器は、各々護身の為め所有する事。
猶、貴国商人に在ても此位のものは所有し居る事なるべし。
貴国政府へ出兵通知し、或は昨日李中堂より電報を発せられたる由。
貴公使へも、貴政府に於て右知照に接せられたる事故、已に電報ありし事と想像す。
如何んや。
返事。
袁世凱は、書翰貰ったけど、文書の回答だと書ききれないとこもあるから、来てもらったんだよ、と。
お前が来い。(笑)

兎も角、これで鄭書記生が袁世凱の所に行って、話聞くわけですね。
で、今日聶が清国兵500人を率いて天津を出発したので、明日には着くだろう、と。
また、葉は1,100人を率いて明日山海関を出発する筈なので、明後日到着する筈。
で、どっちも牙山に上陸する手筈、と。

最初は群山に上陸した方が都合良かったんだけど、全州も陥落しちゃった後なので、もう全州に行く必要無いし~。
牙山には出迎えの人員を向かわせて準備万端整ってるけど、群山には何の用意もしてないので、勿論群山に行くわけも無く。( ´H`)y-~~ プハー
これが杉山の書翰での清国兵出発の話と、群山上陸部隊の話に対する回答。
ぶっちゃけ、日本がこれまで入手した情報と、あまり相違無い気がします。

次に、清国理事の公州出張の話。
出張したのは、理事、電信技手1名、人夫若干名、賄い方、従者の他、清国公館の巡査4名と街上取締りの巡査12名の合計20余名だけで、決して7~80名なんて大人数引き連れて行ったんじゃないよ、と。
んー、街上取締りの巡査ってことは、清国で朝鮮の警察権の一部も持ってたのかな?

で、武器携帯に関しても、公州に着けば偵察のために巡査と一緒に出張する事もあるだろうから、万一のための護身用に武装してるだけで、兵士とか全く関係無い。
日本の商人だって、その位のものは持ってるでしょ?と。

最後に、出兵通知についてはもうやったから、杉村にも既に電報あったと思うけどどうよ?と。
んー、面白い話が全く無ぇ・・・。


で、この後、一番長い「国分書記生が朝鮮人を歴訪して聞取りたる談話」についての『別紙丙号』があるんですが、取りあえず今日は早めに。



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