前回は、独立協会が中枢院官制改革と、不必要な徴税の廃止と、尹容善の免官を迫ろうとして集会したところ、警務庁は巡検を派遣して力ずくで解散させようとしたため、激怒した協会員が懐柔にも拘わらず警務庁を包囲していたところまででした。
という事で、今日も引き続き『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/4 明治31年9月23日から明治31年10月30日(レファレンスコード:B03050003100)』から見ていきましょう。
取り上げるかどうか迷ったんだけど、一応取り上げておく1898年(明治31年)10月26日発『電送第217号』。

第65号

時事新報京城特報中、韓国政府は露国人数名を秘密参賛官に、数名を同参書官に傭入れたる旨記載あり。
右果して事実なるや取調の上、至急回電ありたし。
時事新報の記事に、韓国政府がロシア人を雇い入れる話が出てた、と。
まぁ、事実であれば西=ローゼン協定に違反する可能性が極めて高いですからね。
事実確認の上、至急返事よこせ、と。

これに対する返事が、1898年(明治31年)10月26日発『電受第324号』になります。

第116号

貴電第65号の件は事実無根と信ずれども、念の為め即刻書面にて露公使に実否を確かめたる処、目下当地に露国の枢密顧問官「ネメロジネフ」と其秘書官壱名滞在中なり。
同人の用向は、先年「ブリノ」なる者の韓政府より得たる森林代伐の特許を譲り受けんとするにありて、該件并に其追加約定を取極むる為め韓政府と交渉中なれども、政畧上には何等関係なしと申来れり。
韓人の側より得たる報告も、同人は韓帝へ二回の謁見を得て、砿山採掘のことに関し申込みを為せりとのことなり。
之に就ては、既に書面にて報告を差出し置けり。
要するに、時事新報の誤報でした、と。

さて、続いては久しぶりの釜山領事伊集院彦吉からの報告。
いや、絶影島の話ではないんですが。(笑)
ってことで、1898年(明治31年)10月8日付『機密第27号』。

当国皇帝廃立陰謀の嫌疑を受け、予て在京城我商家に僭み逮捕の難を避け居候安駉寿は、本月2日、仁川発玄海丸にて当港経由本邦へ僭行する旨、仁川石井領事より内報有之候に付、去る4日玄海丸入港の際は特に当館巡査に内命し、万一の事無之様保護致■処、何等異常もなく即日日本へ渡行致候。
本官も、舩中にて同人に面会致候処、其談話中、同人関係■事件も、其後進毒或は外人巡査雇入事件等続発し漸く下火となり、従て同人身上にも格別危険を及ぼすの虞なきも、又公然働き候事も出来ざるを以て、姑く本邦に赴き時期を待たんため此度の行を思ひ立ちたるものなるが、今や漢城の状態は殆ど無政府同様にして、此侭にては如何なる国難を惹起候哉も難計、誠に嘆息の外なしと頗る感慨の模様に見受られ候。
尚ほ、同人は朴泳孝との約あるを以て、一応馬関に上陸し、朴と諸事打合はせの上大阪に至り其附近に居をなし、家族をも呼寄候筈なる趣に有之候。
又、朴泳孝の事に関して同人の意見は、朴■国するも敢て危険はあらざるべきも、政府に入り或は其他に於て何事をもなし得ざるは目下の事情に照して明なれば、朴の■国は韓国のため又本人のため利益にあらざるを以て、是又姑らく本邦に止まる様忠告する積りなりとの事に有之候。
尚又当館附太田警部は、安駉寿に旧交あるを以て面会致候処、安の雑話中当国の事、現帝在位にては到底何等の善謀も無益なるを以て、此上は或は場合により非常手段に訴へ、現帝の廃立を計るの已むを得ざるに至るやも難計と申居候趣に有之。
右の事情なれば、本邦に於て安・朴両人首となり在韓有志者と気脈を通じ、■絶何等計画も■有之乎と思考致候。
本件に関する詳細の事情は、在京城公領事館より夫々報告相成候儀とは存候へ共、当港にて見聞■第及具報候。
敬具
何か、大事件頻発のせいでもうかなり前に書いた気分になってるんですが、7月28日のエントリー等での、高宗譲位事件後の安駉壽の足取りですね。
当時、日本の商家に逃れた安駉壽は、その後仁川発の玄海丸で釜山経由日本上陸。
その釜山に立ち寄った際の面会の様子という事になります。

で、高宗譲位事件の後毒茶事件や外人巡査雇い入れ事件が続発して、ほとぼりも冷めて身の危険も無くなったけど、どうせ公然とは動けないんだから、しばらく日本に行って時機を窺おうと思い立ったようだが、現在の京城はほとんど無政府状態であり、このままではどんな国難が起きるか分からず、本当に思いやられるよ・・・と。
つうか、無政府状態の方が多いんじゃね?(笑)

今後の予定は、下関上陸後朴と面会し、その後大阪附近に住んで家族も呼び寄せる予定、と。
つーか、何でみんな日本に来るかねぇ・・・。
金玉均の時もそうだったけど、壮士は兎も角として、日本政府としては割と迷惑だったんじゃなかろうか。

朴泳孝に関しては、帰国しても危険はないだろうけど、政府に入ってもその他でもどうせ何も出来ないのは目下の事情を見れば明らかだから、帰国するのは韓国のためにも本人のためにもならないとして、日本に今暫く留まるように忠告するつもりだ、と。

しかし、高宗が帝位についてる限り何やっても無駄だから、この上は場合によっては非常手段に訴えて、高宗の廃立するのもやむを得ないかもしれないという話が出てくる。
まぁ、元々そう思ってたから譲位事件起こしたわけで、事実そのとおりなわけで。(笑)
ただ、手段が過激になるだけの話ですね。(笑)

そういった事から、日本で安駉壽と朴泳孝が首謀者となり、在韓の有志者と気脈を通じて何か計画するかも知れないね、と。
まぁ、実際この後何等かの動きをみせるようなんですが、それはまた後で。

続いては、7月31日のエントリーで交代の話が出た、ロシア公使マチュニンに関する件。
1898年(明治31年)10月20日付『機密第45号』。

露国代理公使留任の御願電に関する件

当国駐箚露国公使マチウニン氏は、其性淡泊正直にして同僚間之折合も頗る宜しく、韓廷に於ても其穏和政策を■■候哉に承知致居候処、韓帝に於て今回同公使の他に転勤の事を聞召され、露帝に向け同氏の留任を■■せらるる旨の御願電を発せられたるとのことに有之候。
尚ほ、両3日前、本官が同氏の面会の序を以て之れを慥めたるに、其事実たる旨を■候。
乍去、同氏の意見にては、到底該電報の目的を達すること難かるべしとのことに有之。
何となれば、(一)電報写なるものを一覧したるに、極て不完全なる露語を羅馬字にて■り打電したること故、殆んど意味も何も分からざるべく、(二)露帝は韓帝の願電に対し、余り重を置かざるべきを以てなり。
兎に角、該電文の非常に不完全なりしと、韓帝の■■の当地駐箚主席公使の手を経て、本国政府に進達するに至らざりしかば、■■■■■なり云々と申居候。
此段、御参考迄に申進候。
敬具
んー、肝心な所の崩し字が激しくて正確には不明なんだけども、おおざっぱに言えば、7月31日のエントリーで加藤も絶賛していた通り、マチュニンって誰からも好かれてたようですな。
で、転勤の話を聞いた高宗が、マチュニンの留任を依頼する電報を出した、と。

ところが、電報は極めて不完全なロシア語をローマ字で打電しており、意味も何も分からない。(笑)
金鴻陸が毒茶事件で尋問中、あるいは既に絞首刑になってる時ですからねぇ。
他に誰もちゃんとしたロシア語、知らなかったのかなぁ・・・。
まぁ、金鴻陸も本当にロシア語の通訳をちゃんとやってたかは知りませんがね。(笑)

さらに、ニコライ2世は高宗の電報にあまり重きを置いてないし、と。(笑)
まともな文章でもどうだか、という話でしょうねぇ。


何つーか・・・今日はこれまで。(笑)



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