実は、今年の1月13日から春生門事件の話を始め、これまでずっと俄館播遷に関係した話をしてきた訳ですが、実は今日取り上げる史料のバックボーンを調べたかっただけなんですよねぇ・・・。(笑)
しかも、そんな大したことない史料なんです。
半年もかけて、何やってんだか。(笑)

ってことで、アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第一巻/9 明治29年11月14日から明治30年3月12日(レファレンスコード:B03050002400)』から、1896年(明治29年)11月26日付『機密第93号』。
これも、分割しながら見ていきます。

本官、去る19日安駉壽と日語学校に会合したる節談話の概要左に摘録し、御参考に資し候。

閔泳駿の動静

安曰、泳駿は一たび出て国家を料理し、昔年の汚名を雪がんとの野心勃々たるものの如し。
予は彼に向って切に現今の情勢を説き、敢て出身の時機にあらざるを以て強ひて之れが念を停めしめんと努めたり。
何となれば、朝鮮の末路を綱紀紊乱の域に置きたるは閔泳駿なりとは、八道の児童走卒も今猶ほ口にする所。
然るに、今の時に当って泳駿出づるとするも、到底独力以て国家を醫正する能はざるもののみならず、寧ろ益々国家をして否運に向かしむるに至るも知るべからず。
果して然らば、閔泳駿一世の歴史は国人に亡国の臣として了らんのみ。
豈之れ愚の極ならずやと。
泳駿も予が言に鑑みる所ありてか、昨今に至っては外専ら静養を粧ひ徐に時機の到るを待つものの如し。
安駉壽は、前回のとおり独立協会議長であり、還宮派。
その安駉壽と加藤増雄臨時代理公使が、日本語学校で会談した際の概要である。

まずは閔泳駿について。
この頃、5月15日のエントリー5月21日のエントリーで還宮に向けて様々に動いている閔泳駿。
勿論その行動の裏には、もう一度表舞台に立って昔の汚名を雪ごうとする野心があるようだ、と。
つうか、5月15日のエントリーで既に中枢院議長になってるわけですが、中枢院議長って閑職なのかしら?(笑)

しかし安駉壽は、まだ表舞台に立つ時機じゃないとして説得し、閔泳駿もその意見に思うところがあったのか、現在は静養を装って時機が来るのを待ってるようだ、と。
つうか、朝鮮を現在のような綱紀紊乱の状態にしたのは閔泳駿だと朝鮮全土の子供も今でも口にするほどって、現代でも「当代最高の貪官汚吏」とか言われるらしいけど、具体的に何の話だろう?

議政金炳始の進退

金議政は、御承知の如く頑固を以て有名なる老骨なり。
乍去、彼れは不思議にも上下一般に名望あり。
而して、其人物は時事に通ぜず恰も本偶の如きも、之れをして内閣の首席に置くに於ては、国王も勝手我儘の挙動を憚り閣僚も何となく薄君悪く感じて行為を慎む等、一種特有の妙味を覚ゆるなり。
而して彼れは自家の説を貫くの勇気に富み、一たび其説を出すや必らず之れが結果を期するものの如し(彼れが這回10回の辞表を固執するも、畢竟之れが為め)。
又た彼れは泳駿を深く信じ、之れと袖を連ねて内閣に立たんことを欲し如是泳駿に勧めつつあるも、泳駿の出でざるは尚ほ自家の所説の行はれざると同一原因たるを思へば、彼れも之れを強ゆる能はざるものの如し。
彼は、今日までの有様にては、泳駿と同じく日本の感情を恢復するを主とする方なり。
「不思議にも」なんだ。(笑)
つうか、「国王も勝手我儘の挙動を憚り閣僚も何となく薄君悪く感じて行為を慎む」ような人物を、内閣総理大臣にしようとして断られ、議政府議政にして10回も辞表を出されてそれを許さないって、高宗や朝鮮政府が何をしたいのか、さっぱり分からんわけですが。(笑)

彼は、これまでも書いてきましたが先の閔泳駿を深く信じて、彼を内閣に入れたいと思って誘っても断られる、と。
彼自身が5月22日のエントリーでの5条件を始め、自分の意見が聞き届けられない事を思えば強いることもできないわけで。
で、彼も閔泳駿と同様に日本の感情を回復する事を主とする方だ、と。

しかし、そもそもこの時、彼が議政府議政の職務に就いてるのか疑問だったり。(笑)

安自身の地位

予は目下、朝鮮銀行の創立に従事しつつあり。
想ふに此の銀行の成立すべしとは、予が当初より期せざる所雖然予は之れに従事するを以て、一身上の好方便とするの得策なるを知ればなり。
何となれば、若し予にして安閑一事の業務なくして過さんが、一般の疑心は忽ち予ニ向って注ぎ、之れと同時に蜚語作説は行はれん。
果して然らば、又如何なる苦楚辛酸の厄運に遭遇するも未だ知るべからず。
何と危険なる世中ならずや。
まぁ、イザベラおばさんにも「朝鮮は流言蜚語の国なのである。」なんて言われるわけで。
増してこの時期だけでも5月13日のエントリー前回のような「逮捕事件」なんかも起きてるわけで。
何もしないでブラブラしてれば、何か怪しい事でもやってんじゃねーと蜚語作説され、あとでどんな災厄に遭うかもしれんから、朝鮮銀行を成立させようとか思ってなかったけど、取りあえずその仕事やることでそういう目には遭わなくて済むしね、と。
んー、大変ですなぁ・・・。(笑)


途中ながら、今日はここまで。



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