ヲチスレ419氏の希望に応えて改装。
あんまりスレ違いの返信続けるのもアレだったので、返信しなくてごめんなさい。
後、毎日来てくれてる方々、ありがとう。
たまに来てくれる人達もありがとう。
そして初期HELLOWEEN万歳。(笑)

|´д`) でさ。
|д`) 実は今日も漏れてた史料、なんだよね。
|`) ・・・。
|≡3

史料は、アジア歴史資料センター『公文雑纂・明治二十九年・第十三巻・外務省五・外務省五/在朝鮮原全権公使ヨリ第九号報告ノ件(レファレンスコード:A04010028700)』。
1896年(明治29年)8月15日付『報告第9号』より。

施政一班
今回地方制度改正(8月6日官報并に発第98号参看)の頒布に引続き、之に貫連する所の問題規定続々頒布せられたり。
即ち、地方官吏職制は去る4日勅令第37号を以て、地方官吏事務章程は同勅令第38号を以て、地方官庁俸給及経費支給規程は同勅令第39号を以て(以上8月6日官報参看)、各庁牧判任官以下任免規定は去る7日勅令第44号を以て、地方官吏応行体制は同日勅令第45号を以て、地方官吏職務権限は同日勅令第46号を以て、地方官吏赴任在任給由規則は同日勅令第47号を以て、地方官吏任期は同日勅令第48号を以て、知事署廃止の件は同日勅令第49号を以て、各開港場監理復設規則は勅令第50号を以て(以上は8月10日官報参看)、各開港場に警務署設置の件は去る10日勅令第52号を以て、地方官吏銘心細則は去る12日内部令第6号を以て(以上は8月12日官報参看)頒布せられたり。

一.朝鮮内地郵便事務業漸次拡張の結果として、去る5日勅令第42号を以て郵逓司官制を、同日勅令第43号を以て郵逓司職員俸給令(以上8月7日官報参看)頒布せられたり。

既報告中国内電報規則頒布のことを記載し置きたるが、今回又電報事項犯罪人処断例を去る7日法律第6号を以て頒布せられたり(8月10日官報参看)。

今回、慶運宮(明礼宮)修繕のこととなり、去る10日詔勅を以て発表せらる。
其詔文に曰く「慶運宮。即列聖朝臨御之所也。年前雖已修理。尚多未遑。令宮内府度支部。句管修理。務従省約。」云々。
依て種々の風説を生じ、露国より傭聘の陸軍教官来着の期近きたるを以て、還幸の準備に取掛りたるものにして、来月(陰暦8月)の■望祭は同宮にて挙行せらるる予定なりしとも云ひ、又近来地方人民の還幸を泣訴するもの日に多きを加ふるを以て、此際同宮へ還幸の風邪を粧ひ一時其気焔を■て、修復済の上は単に先妣の殯柩を移す計画なりとも云ふ。

一.宮廷の■■らざるを口実とし、宮内府に於ては先般来勅令と称し窃かに内地各所に税所なるものを設置し、種々の租税を徴収し居たる処、昨今に至り右税所の数70余ヶ所の多きに達し、■て外国との関係を生じ、現に釜山に於ける隠洞及■■峴の税所に関し彼我の交渉を生じたるものある折柄、度支顧問「ブラオン」氏も此に見る所あってか、此程課税のことは度支部の専属にして他部より■りに賦課すべきものにあらざること、并に賦■を重ふするは■民の負担に■へざることを陛下に直諫したるの結果、遂に右の税所を全廃することとなり、去る11日勅令を以て其趣発表せられたり。
其詔文左の如し。
各項雑税之革罷。為生民除害。而近聞朝家所不知之徴税。又復層生。或藉託宮内府。及京外各衙門。討索収斂。無所不至。苟如是也。奉朝令恤民生之意。果安在哉。言念民国駭歎極矣。凡係應収税則一依度支部文憑。自当全帰。外此則皆冒徴也。私徴也。自今各該地方官隨現立撤。各別痛禁。如或復踵前習。徇隠不告。則該員厳行重究。断不容貸。咸須知悉。
んー、頑張ってテキストに起こしてみたが中身が薄い。

そんな中。
宮内府が税所を設置して租税徴収し、その数が70ヶ所以上にのぼった、と。
何の税金かは知りませんが、国庫ではなく宮中に収まったんでしょうねぇ・・・。

で、外国との軋轢も出始めて、ブラオンも課税は度支部の専管事項として他の部で賦課すべきでない事、及び朝鮮国民はこれ以上税金を重くする事に耐えられないよと高宗に直諫し、ようやく全廃した、と。
つうか、「而近聞朝家所不知之徴税」って・・・。(笑)

知らねーふりかよ!(笑)

内地暴徒一班
一.陰城の吏房に崔奭■なるものあり。
同地の名家たり。
頃者窃かに匪徒数千を同地に嘯集し、前郡守を駆逐し公銭を掠奪し民戸数百を焼盪す。
無辜、為めに死する者30余名に及べりと云ふ。

一.匪徒の谷山郡を襲せし時、郡守を捕縛したるも郡守の結髪し居るを見て殺害せざりしと云ふ。
んー、きっとその村は親日派ばっかりだったって事で、韓国人的にはOKなのかなぁ。(笑)
一方、捕縛された郡守は、断髪してないから命が助かった、と。

任免
一.今回地方制度改正の結果として、京■中重なる者の地方官に転ぜしものは、度支協弁李在正の仁川府尹兼監理に、軍部協弁尹雄烈の全羅南道の観察使に任ぜられたる是れなり。
而李の後は三品金在豊、尹の後は従二品参将閔泳綺之を襲けり。

一.各開港の地方官には、任川に李在正(仁川府尹兼監理)、釜山に閔泳敦(東莱府尹兼監理)、元山に申泰茂(徳源府尹兼監理)、慶興府に金尚振(慶興府尹兼監理)に任命せられたり。

一.去月22日、経筵院侍読判任官5等に叙せられたる洪鍾宇は判任5等に慊々とし、未だ■ヶ月を出でずして去る7日依願免官職となりたるが、間もなく其翌々9日を以て宮内府参書兼任外事課長典医司副長に任じ、奏任官5等に叙せられたり。

一.李世稙(李逸植の本名)は、去る12日法部主事に任じ判任官6等に叙せられたり。

一.曩きに流罪を免せられ、漢江の別墅に謹慎中なりし閔泳駿は、今回特旨を以て其懲戒を免ぜられたり。
主に地方官制度改正に伴う任官ということで、洪鍾宇が駄々捏ねて階級アップしてもらってたり、4月28日のエントリーで流罪を免じられた閔泳駿が懲戒も免じられてるけど、実は5月1日のエントリーのように原に内通しようと頑張ってるんだよねぇ、という話以外は、この辺もそれほど面白くない。(笑)

雑件
一.本月初旬、前郡守李時宇なるもの同志100余名還幸の上疏をなし、数日■に伏して命を待ちしに「省疏具悉。所陳当留念矣。」との批旨を下されたる為め、彼等感■して引■りたるに、去る8日に至り突然警務庁の手に引致せられ、其翌日9日、高等裁判所に差廻されたり。
然るに疏本に付き逐條審議の末、裁■すべき要素なきものと■定せられ直ちに放免となりたり。
因に記す。
同氏の拘引に依り、還幸運動者の一派なる金洪■の連中は一時瓦解の模様ありたるに、同氏放免後は一層気焔を高め、万人疏を上らんと運動再興し、最早同志600余名を募り得たる由。
■も此使嗾者中には、学部大臣申箕善、宮内大臣参書洪鍾宇、成均館長金福漢(元と義兵の首領)等も加はり居るやの趣。

一.今回朝鮮政府に於て露国政府より傭聘する陸軍教官は、僧侶合して20名にして、孰れも欧■露西亜より来る由。
而右教官の取締には、曾て4、5年前迄在北京露国公使館附たりし「プーチャーチ」氏(Pautiachi 北京駐在の頃は大佐たりしを以て、現今は多分将官に■任したるならん)其人ならんと云ふ。
同氏は、清国の兵制其他に関する著述も有之、本国に於ては随分有名の人物なる由。
右一行は多分、一ヶ月内に来着すべしとの噂。

一.先般来、当京駐在の露国水兵の指揮官として駐剳し居るは、アドミラル・コルニセフ艦乗組■員海軍大尉「フメレフ」氏(Khmeleff)にして、其外マンジュル艦乗組員大尉「ネプニン」氏(Nepenin)及軍医ポポフ氏(Popoff)も同く護衛附として駐在し居れり。

一.今回頒布せる地方制度改正に縁由して地方官吏となりたるものの内には、賄賂を以て買官したるものも多き由なるが、観察使は1,000■、陵参奉は80■の相場にして売買したる■一般人の囂々する処となり、独立新聞の如きも今15日の紙上に批難的論文を掲載するに至りたり。
因に記す。
右改正、同時に多数地方官更迭するは、施政上■■上得策にあらざる旨、露公使及ブラオン氏は其筋に忠告したるも、肯かれざりしと云ふ。

一.在京城英国総領事「ヒリヤ」病気の為め帰国するに付、今回在北京英国参■官朱■典(S■rdan)■後任に命ぜられたる旨、其筋へ報■ありたる由。

右具報候。
敬具
学部大臣申箕善は、5月3日のエントリーで見たとおりの”超”がついても良い程の守旧派。
金玉均を暗殺した男洪鍾宇も、儒者である成均館長金福漢も当然守旧派。
以前見たとおり、守旧派の沈相薫・韓圭卨(咼の上にト)なんかは、原敬と内通してまでも還宮しようとしているわけで、守旧派としては国王がロシア公使館に居るってのは、相当耐えられないんでしょうな。
っていうか、普通そう思うだろうけど。(笑)

いや、それ以前に、普通は他国の公使館に一年間も居ねぇ~っつう突っ込みは無しの方向で。(笑)


今日はこれまで。



俄館播遷のその後(一)
俄館播遷のその後(二)
俄館播遷のその後(三)
俄館播遷のその後(四)
俄館播遷のその後(五)
俄館播遷のその後(六)
俄館播遷のその後(七)
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俄館播遷のその後(九)
俄館播遷のその後(十)
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俄館播遷のその後(十四)
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