雪かきは、想像以上に体力を消耗するわけで。。。
今日は短めかも。(笑)

ってことで、早速。
今日最初の史料は、1896年(明治29年)2月22日発『電受第119号』より。

今朝政府部内に少更迭あり。
即ち李範晋は法部大臣兼警務使に、法部大臣鄭秉稷は農商工部大臣に、警務使安駉壽は法部協弁に、テイインコウは何れも中樞院議官に任ぜられたり。
右李範晋が警務使に任ぜられたる結果として、今朝より日本党若くは大院君派と目指るるものの捕縛に着手しつつあり。
目下捕はれたるものは即、権衡鎮(権濚鎮の実兄)、リキチン(同妹壻)、宮内大臣秘書官テイバンテウ及其弟宮内参書官ジヨシウホ、前法部協弁テイインコウ、リタイコウ(李斗鎬の弟)、禹ラク善(禹範善の弟)等なり。
鄭秉稷は、趙秉稷の誤り。

さて、ここで李範晋が堂々と入閣。
しかも法部大臣兼警務使ってことは、治安関係では何でも思うが侭にできますね。
というわけで、2月2日のエントリーで逃げている者の身内も含めて、親日的な者や大院君派の粛清。

安駉壽は、前回辞めたがっていたはずですが、この異動で法部協辨になってます。

さて、続いては前回「事件そのものに関する史料があるようなので」と言っておいた、播遷後の小村からの報告。
1896年(明治29年)2月17日付『機密第13号』。
長いので、これまた区切りながら行きます。

前回報告後、追々探聞する処に拠れば、露国公使館内に於ける新政府は、各部の局長始め主事等を同館内に呼び入れ、各般の事務を執らしめ居り。
現に内閣総書権在衡の如きは、事変当日同館に入りたる以来、非常に繁忙なるが為め、今に外出すること能はずと云ふ。
然れども、如此紛糾錯雑の際に当ては、其配下に執務し居る者と雖ども、各々疑惧して■んど荊棘中に坐するの思ひを為し居れりと。
まぁ、内閣殆ど入れ替えの上、総理不在。
というか、執務場所すらロシアの公使館内なわけで。
仕事の進め方も全く違うでしょうから、忙しいのは当然。
何もしてないように見えるけど、何の仕事で忙しいの?というのは、無粋なツッコミなんでしょう。(笑)

一.露国公使は、事変当日に於て趙義淵等の首を斬り来り献ずべしとの詔勅(前回報告別紙第1号)を発したる義を、後にて聞知し、大に怒て李範晋等に向ひ、其不都合を詰りたりとの説あると。
又前内閣総理大臣竝に農商工部大臣の2名を虐殺したる件に付、尹致昊・徐載弼の如き外国の情態に通じ居る者は、其過酷の処置に渉りたるを咎め、新大臣列坐の時、国王の面前に於て其何人の指揮に出でたるやを詰問したるも、国王初め黙して答ふる能はざりし程なりしとの説に本づけるに■、爾来夫等の不都合を彌縫せん為め、別紙第1号の通り、一昨15日官報号外を以て、凡て犯罪人■縛に就かば妄りに傷害を加へず、法庭に解納し、明正なる公判を以て適当の罰に処すべし。
又、金宏集・鄭秉夏は、皆内閣大臣たり。
其■捉の後、宜しく公平なる裁判を行ふべかりしに、憤激せし民衆は該犯に下手して殺害するに至りたるは、其劫奪せられんことを慮り、且つ蓄憤を洩したるに由りたるものなり云々と、明かに事実と相違せる弁解を為し、又昨日に至り、該事件に関し別紙第2号の通り、当時■卒の際、布告文等に不穏の字句を用ひ、又は当局者にあらずして妄りに榜示を掲出したるものありしに因り、特に詔勅を以て朝廷命意の在る所を申明せり云々とて、前記官報に英訳をも添へ、李外部大臣よりの通知に接せり。
嘘だらけの詔勅キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!!

公平な裁判をしようとしたら、激怒していた民衆に殺された?
当局の者でない誰かが、勝手に趙義淵等の首を斬って持ってこいと掲示した?
(゚Д゚)ハァ?

ロシア公使に怒られたからとする説、尹致昊や徐載弼の詰問のせいだとする説が等あるわけですが、あくまで現時点では「説」なので注意。
ただ、李範晋等がこうした詔勅を出さざるを得ないのは、どういう状況かと言えば、ロシア公使に怒られたからというのが妥当である気はしますがね。(笑)

まぁ、この詔勅が高宗の意向に基づくものであれば、どちらの説もありえますが。
ヤツ、ビビリだから。(笑)


今日はこれまで。



俄館播遷(一)
俄館播遷(二)
俄館播遷(三)
俄館播遷(四)
俄館播遷(五)
俄館播遷(六)
俄館播遷(七)
俄館播遷(八)
俄館播遷(九)
俄館播遷(十)
俄館播遷(十一)
俄館播遷(十二)
俄館播遷(十三)
俄館播遷(十四)
俄館播遷(十五)