今日から史料は『韓国王露公使館ヘ播遷関係一件/3 明治29年2月17日から明治29年2月26日(レファレンスコード:B03050313600)』に移ります。
どこで一区切りするかは、未だに悩み中。
もう一件、事件そのものに関する史料があるようなので、それまではやってみるッス。
ってことで、本題。
今日最初の史料は、1896年(明治29年)2月22日発『電受第115号』より。
19日付貴電接収せり。19日付貴電とは、1月27日のエントリーの『電送第64号』かな?
露公使とは如何なる御趣意にて談判相成たるや。
又、将来我政府の執るべき方針如何。
右は兼て具申したる通り、本官に於て心得をくこと最も必要につき、至急詳細御回示相成たし。
当国新政府に内地暴動の模様は別電にて具報したる通りにて、其実況は殆ど無政府と同然なり。
我居留民の保護を全ふする為め、本官に於ては出来得る限りの処置を執りをりて差当り危険の恐れなけれども、甚敷恐慌を防ぐ為め、此際仁川へ軍艦1、2艘を派遣相成たし。
京釜間電信の交通を維持恢復することは、目下の急務なり。
就ては、現存の線路を守備し、破損したる線路を修復する為めに、必要なる限り沿道の暴民を討払ふ事も、場合に依りては止むを得ざる事と信ず。
本官に於ても、此際京城の守備隊を動かすことは決して得策にあらずと信ず。
然れども、釜山、大邱等南方より必要の兵を繰出すことは毫も差支なしと考ふるにつき、右の趣意を以て其筋へ御協議相成、至急電信の交通を恢復する様御取計を乞ふ。
もしそうだとすれば、「横文電信って何?」ってのは私だけの疑問じゃなかったんでしょうね。(笑)
で、日本の方針についても重ねて督促、と。
そして、俄館播遷以降の朝鮮はもう無政府状態だから、居留民保護のために取りあえず仁川に軍艦1~2隻よこせ、と。
電信の復旧も、当然急務なわけで。
京城から仁川、仁川から船便経由で釜山、釜山から日本という経路を辿ってるようじゃ、タイムラグがあって大変でしょうしねぇ。
必要な限りにおいて、沿道の暴民を討伐するのも仕方無い、と。
この辺、通常であれば朝鮮政府に求めるんでしょうが、そういう治安維持が出来れば無政府状態などと言われなくても済むわけで。(笑)
で、京城の守備隊を動かすわけにはいかないんで、釜山や大邱といった南方から兵を送る事を協議して、電信を回復させてくれと求めたわけです。
で、再び在ロシア公使館朝鮮政府に関する報告。
1896年(明治29年)2月22日発『電受第116号』より。
国王始め内閣員の重なるものは、今尚露館にあり。高宗は最初のうち、逆魁、つまり2月2日のエントリーに見られるような趙義淵を初めとする者達が捕まるまではロシア公使館を出ない事に決めていたけど、城内(ソウル内?)では高宗がいつまで経ってもロシア公使館から出てこないため、 (゚д゚)ハァ? と。(笑)
国王は最初、逆魁の縛に就くまでは還御せざることに決し居りたる由なるも、城内の人心は還御の延引するを見て、稍々激昂の色を現はし来るを以て、内閣員は痛く憂慮し、去る18日に於て景福宮・明礼宮の内、何れとも修理出来次第、速やかに還御あるべしとの詔勅を発せり。
然れども、明礼宮を除き、景福宮の如きは更に修理に着手したる形跡なきより見れば、之れ一時人心を和らぐるの手段にして、還御の事未だ確定せざるものの如し。
新内閣総理金炳始は国王の使者と共に上京し、直ちに露館に於て国王に謁見せし節、国王は親から勅辞令書を渡さんとせしに、金氏は金・鄭二大臣の逆殺其当を得ざる旨を諫争し、又何故露館に遷御せられんと詰問せる等痛く此度の挙動を批難し、其受納を拒み退出したるに、其後国王は侍臣をして2回迄親書を玉ひ就任を促したるも、金氏は断然之を拒絶し、更に新内閣に入るの意なきことを示せり。
親衛隊は多く新内閣を信任せず、又た新内閣も之を信ぜざるものの如し。
兵卒中、脱退を申込み帰宅するもの多しとの事。
必竟、国王の還宮延引するものは、此等王宮護衞の任に当る親衞隊の意中料られざるを危み、万一の変あらんことを畏るるもの其一原因なるが如し。
現内閣は組織後日尚ほ浅くして、諸事未だ少しも緖に就かざるのみならず、当国人の癖として、李範晋・李允用の権力争ひは昨今漸く其度を高め、隨て府員中にも多少軋轢を生じ、其位地を危む者日に多く、辞職を思ふものさへ生ずるに至れり。(安駉壽の如き其一人)
各地方に暴徒蜂起し、観察使を殺害し(忠州観察殺さる)、郡守を逐斥する等(鐵原、楊州、連川郡司皆逐はる)、狼藉至らざる所なし。
而して政令毫も京城外に行はれず、暴徒鎮圧の手段なし。
殆んど無政府同様の姿なり。
如斯して、曠日彌久なるときは、国内の大騒乱となるや必せり。
頗る懸念に堪へず。
在ロシア公使館朝鮮政府もこれを気にして、18日付けで景福宮と明礼宮の修理終わったら帰るからという詔勅を出す。
しかし、景福宮の修繕に取りかかってる様子は微塵もなく、単なる言い訳だろ、と。
で、これまでロシア公使館から出された布達なんかを見ても分かるんですが、全部「内閣総理大臣臨時署理 内部大臣 朴定陽」の名前で出されてるわけで。
実は総理に選ばれた金炳始は、新内閣に入るのを拒絶してるんですね。
それだけではなく、金宏集と鄭秉夏を殺したことを批判。
おまけに、「何でロシア公使館に逃げたのよ?」と詰問し、高宗から辞令をもらうのも拒否。
っつうことで、総理不在。(笑)
高宗を守る筈の親衛隊は新内閣を信任せず、新内閣も親衛隊を信じていない、と。
お互いに、いつ難癖つけて殺られるか、分かんないですからなぁ・・・。
で、脱退して帰宅しちゃう者まで居る有様。
王宮に帰るに帰れない一因のようだ、と。
李範晋と李允用の権力争いまで起き、政府は全く機能しておらず、安駉壽なんかは「辞めちゃおうかなぁ」等と思ってしまうわけで。
「当国人の癖として」ってのが、激しく笑ってしまうわけですが。(笑)
当然政府が機能していないため、暴徒が蜂起して忠州の観察使が殺されたり、鐵原や楊州、連川の郡守も放逐されても何も出来ない、治安も糞もないワンダーランドと化してるわけで。
だからこそ、小村に「現存の線路を守備し、破損したる線路を修復する為めに、必要なる限り沿道の暴民を討払ふ事も、場合に依りては止むを得ざる事と信ず。」なんて言われちゃうんですな。
つうか、東学党の乱の時より酷いね。(笑)
今日はこれまで。
俄館播遷(一)
俄館播遷(二)
俄館播遷(三)
俄館播遷(四)
俄館播遷(五)
俄館播遷(六)
俄館播遷(七)
俄館播遷(八)
俄館播遷(九)
俄館播遷(十)
俄館播遷(十一)
俄館播遷(十二)
俄館播遷(十三)
俄館播遷(十四)