もう連載40回目ですか・・・。
ふぅ。
最近、一回の分量がちょっと多いかなと思ってるんですが、どんなもんでしょ?

さて、今日は前回の1909(明治42年)12月18日付『機密統発第2095号』の続きから。
では早速。


○ 別紙三 憲機第2478号

内田良平が、北部府洞なる其自宅に於て、時局問題に関し某に語りし談話の要旨を挙ぐれば左の如し。

一.今回一進会の行動は、李容九や宋秉畯又は自分等が何か為めにする所ありて為し居るが如く世間では云ひ居るも、其真相を知らざるものの言にして、一進会や李容九や宋秉畯等単独行動に非らざることを承知して貰ひたし云々。

二.自分の行動に対し、小策士とか又は相場師の手先とか云ふものあるも敢て意に介せずと雖ども、桂とか寺内云々と云ふに至りては用捨出来ぬ事であるが、国家の大事を持て居るものは須らく慎重にせざる可らざることと考へ、内閣諸公に対し迷惑千万何共恐縮の至りに堪ず云云。

三.京城に居る新聞記者や通信員等は、国家的の頭は少しも無く、只感情に制せられて書き居る事が明に分りて居る。

四.近日中に、東京に於ける新聞紙の論調が一変して来ることは、自分は期待して居る。

五.李容九が機敏なる行動には、自分も愕然として云ふ処を知らざりし。
一番反対して来るものの中、尤も恐るべきものは耶蘇教と儒生であることを、李は承知して居る。
故に早くも之れに手を下し、万事手落なく運んで居る。
殊に「ハリス」博士に対しては、多大の感謝の意を表せざるを得ず。

六.合邦問題に就ては何人も反対はない。
日韓新聞を広く見れば、輿論は一番早く分る。
反対するものは一つも無い。
只、あるものが早尚と云ふ位ひの事。
其次は関係者を云々と云ふて在る。

七.排日主義を以て名ある大韓毎日申報の昨今の論調を見れば、之れ又判明する。
彼の新聞の筆法は、此合邦論を如何に見て居るか。

八.東京にも急ぐ要件あれども暫く滞在して政況を見て、然る後帰京を決する積り云々。

以上。

明治42年12月17日



一進会や李容九や宋秉畯等単独行動ではないねぇ・・・。

で、桂や寺内とは何も関係ないが、国家の大事を志す者は慎重でなければならないと考えて敢えて反論せず、内閣諸公に対しては迷惑千万なんとも恐縮の至りに堪えない、と。
ま、どこまで本当かは不明ながら、経緯を見るに桂はほとんど関係せず、寺内は情報を得る程度の繋がりはあるように思われる。
最も、寺内が何を考えて、単に参考にするという事で受け取るだけ受け取っておけと言ったのかは不明なのだが。

在京城のマスコミは国家的の頭は少しも無く、ただ感情のままに書いてるだけだ、と。
ここでは主に「内田が自分等に何の相談もなく合邦という大問題を提起した事」や、「自分の縄張りを侵した事」等を以て内田を批判する、馬鹿マスコミに向けられているわけですが、「在京城の」と「国家的の」を取れば、現代マスコミにも充分通用するわけですが。(笑)

そして、近日中に東京に於ける新聞紙の論調が一変するという事を、わざわざ口に出すってことは、何等かの工作をしている可能性が高いですな。

キリスト教と儒生に対する工作については以前より内田が述べていましたが、ここで名前が出てきた「ハリス」博士。
恐らくは、1909年2月頃から半島に於ける布教状況の視察に来た、MCハリス氏である可能性が強い。
内村鑑三に洗礼を施した人物として有名なMCハリス氏であるが、何故ここで名前が出てくるのかは全く不明。
前後の史料を見ても出てこないんだよねぇ・・・。

で、反対者など居ない、と。
新聞を見れば日韓の世論はすぐ分かるなどと言うわけですが、国家的の頭は少しも無く、ただ感情のままに書いてるんじゃなかったのか?(笑)

続いて大韓毎日申報の論調に言及しているが、さすがに調査出来ていない。
激しく見たいのは山々なんですが。


○ 別紙四 憲機第2489号

今回の問題に関し、内田等が将来の発展を期する為め、左の運動をなせりと。

一.去る10日夜、内田良平・大垣丈夫・京城通信社長宇都宮高三郎の3名は、南山町一丁目光昇楼に会合し、将来の方針及新聞買収の協議をなしたりと。

二.尚13日、内田良平・朝鮮日日新聞社長今井忠雄及宇都宮・野々村次郎等掬翠楼に会合し、第ニ回の協議を凝したりと。

三.翌14日、内田・今井・峯岸・楢崎・野々村等花月楼に会合し、新聞買収は京城新報か或は朝鮮日日新聞社の何れかを買収せんと協商を重ね、且つ居留民の大会を開き合併問題に付声援をなすことになし、野々村は其意を含み、自己の親友なる池田長治郎に謀り居留民有志に運動をなすことに決せりと。

以上の如くにして、池田は居住有志間に夫々運動をなしつつあり。

以上。

明治42年12月17日



12月2日のエントリー中、1909(明治42年)12月16日付『警秘第4370号の1』の件に関する憲兵隊側の報告である。
内田良平・大垣丈夫・京城通信社長宇都宮高三郎の会合の事実と、池田長治郎による居留民大会の開催及び一進会援護は合致してるね。

しかし、会合に出席している今井自身が社長をしている朝鮮日日新聞の買収ってのが、イマイチ良く理解できんのですが。(笑)
もう一方の買収候補である朝鮮新報は、12月2日のエントリーで小幡虎太郎が必死に言い訳していた新聞社ですな。
この時には記者個人に対して都合の良い記事を書いて貰うための買収。
今回は、恐らく会社そのものの買収。
どちらかが誤りなのか、両方工作されてるのか。


○ 別紙五 警秘第376号の1

渡日謝罪団に関する件



8月25日のエントリーで既出で、内容も合邦運動には直接関係しないので省略っと。

で、18日付けの史料の最後は、山口県知事から平田東助内務大臣に宛てられた電文。
アジア歴史資料センターの『1 〔明治42年〕12月7日から〔明治42年〕12月28日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610300)』より。 【画像】


宋秉畯、本月16日来関。
其の意向を捜ぐるに、世間の注意を避くるため帰韓したる如くに装ひ、今後暫く此の地に止まり、大隈伯の後援を得て日韓合邦の輿論を喚起せんとするものの如し。
又、李総理大臣は之を妨げんが為め、『リジンショク』なる者を派遣し、同人は本日下ノ関入港の連絡船にて渡来。
午前9時30分、下ノ関発列車にて東京へ密行せり。



宋秉畯は大隈重信の後援を得て、日韓合邦の輿論を喚起しようとしている。と。
何故大隈重信を選び、頼ろうとしているのかについては、聊か興味のある話ではある。
つーか、李容九や内田良平が矢面に立って苦労してる時に何やってんのよ。(笑)

『リジンショク』は、勿論12月6日のエントリーで取り上げた、大韓新聞社長の李人稙である。

で、何故か上の史料の次に来ているのが12月9日付けの史料なので、この際だからこっちも紹介しておこう。
秋田県知事森正隆から平田東助内務大臣への、1909(明治42年)12月9日付『高機第1274号』。 【画像】


本県選出代議士近江谷栄次は過般来上京中の処、当地に於て探聞する処に拠れば、同人は内田良平と共に政況視察の名を以て韓国に渡航し、目下日韓合邦を主張せる一進会に気脈を通じ、何事をか為さんとする目的ある由に有之。
其事実正確を期し難く候得共、為御参考此段及報告候也。



近江谷栄次は12月5日のエントリーにも出てきた、朝鮮問題同志会(対韓同志会)中、最も熱心な合邦論者とされる人物である。
どうやら彼も渡韓していたらしい。
で、その後帰ってきてから13日の錦輝館に於ける朝鮮問題演説会の演説要旨を印刷して内田良平の元に送り、一進会員全部に配布させる計画を立てるわけか。
忙しいなぁ・・・。


ってところで、今日はこれまで。
次回は19日付け史料から。


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