言いたい事はいつも通りなわけですが、淡々と18日付けの史料を紹介していきましょう。(笑)
今日最初の史料は、一進会賛成にまわった大韓商務組合に関する報告から。
1909(明治42年)12月18日付『憲機第2500号』。


(12月16日 憲機第2472号参照)

去16日午後3時頃、漢城府民会長兪吉濬は書記姜重遠を従ひ中部漢陽洞大韓商務組合本部に到り、部長李學宰を別室に喚寄せ、500年来負褓商民等は国民より国賊視せられたることなきに、今回貴下が一己の私見を以て、十三道負褓商民等の代表として一進会の声明書に賛成の意を表すとて、商務組合部の印章を押捺せる公函を同会に送れるは、所謂商民等を死地に陥れるも同然なれば、此際断然一進会に対し賛成の取消文を送付し、以て国民一般に其旨布告せよと勧告せしに、李學宰は予も亦国の亡滅を喜び賛ずるに非らず。
其同情を表せしは、皇室尊崇人民保護の八字に賛せしものにして、声明の全体に亘りて其同意を表せしの故にあらざるを説明せしに、兪は更に政治を一政府にて行ふとせば、何ぞ皇帝を其儘に存するの所以あらんや。
必ずや其一に帰するは予見するに難からず。
依て、此際極力一進会の政合邦に反対し、其挙なからしめんことを期せざる可からずと李の心を動かす処ありし由なるも、李は、男子一度賛成するの意を表し、幾日を経ずして之に不賛成を口外するが如きは不可能なりと、其勧告を容れざりしとのことなるが、兪は大に怒り、不日何事か為す処あるものの如く、しかも威喝ケ間敷憤言を弄じて同4時30分同所を退去せりと。
以上



『憲機第2472号』は見つける事が出来ていない。

さて、前回内田良平によって「奸邪」とか「李完用の走狗」等と言われていた兪吉濬。
一進会に賛成した大韓商務組合の李學宰の処に赴き、「勝手な事すんな。一進会に賛成の取消文を送って、国民一般にその事を知らせろよ」と。
これに対して李學宰は、「一進会に同情したのは『皇室尊崇人民保護』の八字に賛成したのであって、声明全体に同意したんじゃない」と、なんだか凄い言い訳。(笑)
すると兪吉濬は、「政合邦で政治を一政府で行ったとしたら、何で皇帝をそのままにしておくと思うのよ?」とツッコミ。
李學宰はそのツッコミに動揺しながらも、「今更反対できるわけないだろ!」と勧告を容れないため、兪吉濬は激怒して威喝がましい怒りの言葉を残して帰って行ったと。

で、同日付で続報が上がってきます。
1909(明治42年)12月18日付『憲機第2508号』より。


(12月18日 憲機第2500号参照)

大韓商務組合部長李學宰が一進会の声明書に同情の意を表せし以来、漢城府民会長兪吉濬及国民大演説会員等の勧誘に依り、同組合より脱会する者昨今漸く多きを加ふるの傾向ありとのことなるが、重なる者は同組合副事務朴喜英・公事員羅奎栄・金昌源・林昌洙・崔昌煥・李瑗夏・金學顔・徐丙炎等にして、同人等は昨夜9時頃、北部齊洞東谷測量事務所李某の宅に集合し、大韓商務組合部負褓商民等は一進会の合邦声明書に同情の意を表せしことなし。
其は部長李學宰が濫りに部印を押捺し、渠一己の私見にて敢て500万商民の代表なりと冒称せしものなりとの声明的広告文を、各新聞に其掲載を依頼し、以て負褓商民等の一進会には何等の関係なき旨を国民に告げんこと、及府民会長兪吉濬を部長に推して、負褓商民等の組合を主とする商務部なるものを組織し、李學宰の商務組合に反対し、自然同組合の解散に至らしめんとのことを内議せし由にて、本日も亦同人等同家に会集し、商務部組織の件并に前記の広告文を起草し一両日中に発表する筈なりと。



一進会賛成発表以来、兪吉濬や国民大演説会員の勧誘によって脱会者が続出。
その脱会者等は、一進会の合邦声明書に賛成したことはなく、李學宰が勝手に独断でやった事だという声明的広告文を各新聞社に掲載依頼すると共に、兪吉濬を部長にして商務部という組織を作って大韓商務組合に対抗しようしているらしい、と。
これが、上の史料の「不日何事か為す処」なんでしょうな。

さて次は、平壌地方の天道教徒について。
1909(明治42年)12月18日付『憲機第2501号』から。


(12月16日 平壌分隊長報)

平壌地方天道教徒等は一進会の合邦問題に反対の決議をなし、尚ほ彼等の秘密通信に付、左の決議を為したり。

従来重大なる秘密の通信を為すに、通常書翰にて発信し、郵便局に於て怪まれ、開封押収せられ水泡に帰したるの例少なからず。
故に今後我教会に於ては、是等の秘密事項を相互間に通信するには、恰も小包郵便物を発送する如く裝ひ、夫れを結束する縄に秘密事項を記載すること。

右に付、郵便局長に移牒し注意中。
以上。



郵便局長に移牒し注意中って事は、怪しい書翰は郵便局で開封され押収されてたってのは事実なのかな?
つうか、そこまでして隠す「重大なる秘密の通信」って何よ?
で、今後秘密通信をする時には、小包を縛る縄に記載することを決議した、と、と。
つうかバレバレなんですが。(笑)

続いても地方の状況。
平安北道の状況について、1909(明治42年)12月18日付『憲機第2505号』より。


(12月13日 平安北道寧邊分遣所長報)

一進会より日韓合邦請願書提出したる件に付、地方民心の動静に注意中の処、12月11日夜、管内雲山邑内大韓協会、商務組合員数十名、同地一進会に押し寄せ反対の意を述べんとせしを、同地駐在所巡査の説諭に依り無事解散せり。
尚ほ注意警戒中



大韓協会や商務組合員など数十名が、雲山邑内の一進会に押し寄せて反対の意を述べようとしていたため、巡査が説諭した処無事解散した、と。
何と言って説諭してるか、興味のあるところですな。

次の史料は、18日付けの集報。
1909(明治42年)12月18日付『機密統発第2095号』。


憲機第2475号、第2476号、第2478号、第2489号及警秘第276号の1為御参考茲に及御送付候也。

○ 別紙一 憲機第2475号(12月11日付晋州分遣所長報)

一.当地方人民の大部は、今回一進会が日韓合邦の意見書を皇帝并に政府に提出し、且つ之を世間に発表するを聞知するや大に恐怖の念を抱き、中には切歯扼腕密に一進会を怨嗟せつつあり。

二.今回の事件に付、各派内に於て唱ふる所は、大略左の如し。
大韓協会員は、一進会より合邦に関する交渉并に意見発表あるや全然一進会と提携を断絶し、且つ合邦策を極力打破せんと努めつつあり。
然れども、一進会は日本の勢力を仮り、且つ今回の事件も日本の後援あるが如くなるを以て、我等の生命財産の安全を得んが為めには、一進会に対しては警遠主義を得策なりと称するものあり。
付ては一進会の挙動に対しては慨然長嘆しつつありて、仮令本部より命令如何にあれ決して合邦策は遵守せずと唱ひ居れり。
一進会員は、合邦宣言書の発表あるや秘密会議を開き、本部より指揮命令に接せず、協同努力し、以て本部の処置を補翼せざるべからずと称し居れり。
要するに、当地方大韓協会員は多少資産を有し、地方に於ても稍々有力者と目されつつありて、今回の事件に関しては大に不安の念に駆られ爾後の成行きを顧慮しつつあるも、一進会員の多くは無資産者若くは閑散者にして、何か事あれかしと仰望し好奇心に駆らるる徒多し。
然れども、各派共別に大なる活動の色もなく、一般に静穏の姿なり。
以上。

明治42年12月17日



「一」を見た瞬間に、頭の中で中島みゆきが「恨みまぁ~す~」と歌ったのは内緒。(笑)

で、大韓協会に関してはこれまで見てきたとおり、合邦策には反対だが、バックに日本が居るから、係わんない方がいいんじゃね?と言う者が居る、と。
大韓協会員の多くは多少資産があるために今後の事を憂慮しているが、一進会員の多くは貧乏人や仕事が無くて暇なヤツで、何か起きれば良いと好奇心に駆られてる・・・って酷くね?(笑)
まぁ、取りあえず大きな活動をなす処もなく、一般に静穏であるというのは今までどおり。


○ 別紙二 憲機2476号

国民大演説会にては、16日午後1時より、会長閔泳韶・副会長李載克以下重なる役員20名其事務所に集合し、過般一進会が2,000万国民代表の名を冒し政体の変更を旨とする声明書を発表し、民心を動搖せしめたる責任を明かにし、同会を解散すると共に、宋秉畯・李容九の両名を国法に照し、相当処分せられたしとの請願書を統監府及内閣に提出せしに対し、今に何等の消息なきは如何なる都合なるやとの意味に於て質問せんことを討議し、統監府は日本官憲なるの故を以て之を止め、内閣に而已質問することに決し、同日午後2時正二品前警務使申泰休・従二品李明相の両名を総代として内閣に派せりと。
以上。

明治42年12月17日

これは、前回最後に取り上げた史料の前の段階ですな。
こっちの都合で史料が前後して申し訳ない。
で、総代は結局この史料とは別な人物がなり、内閣に行って門前払い喰らって、会長閔泳韶が辞めるって言い出したらしいってオチで。(笑)


この史料、もうちょっと続くんですが、今日はこれまで。


合邦問題(一)   合邦問題(十一)   合邦問題(二十一)   合邦問題(三十一)
合邦問題(二)   合邦問題(十二)   合邦問題(二十二)   合邦問題(三十二)
合邦問題(三)   合邦問題(十三)   合邦問題(二十三)   合邦問題(三十三)
合邦問題(四)   合邦問題(十四)   合邦問題(二十四)   合邦問題(三十四)
合邦問題(五)   合邦問題(十五)   合邦問題(二十五)   合邦問題(三十五)
合邦問題(六)   合邦問題(十六)   合邦問題(二十六)   合邦問題(三十六)
合邦問題(七)   合邦問題(十七)   合邦問題(二十七)   合邦問題(三十七)
合邦問題(八)   合邦問題(十八)   合邦問題(二十八)   合邦問題(三十八)
合邦問題(九)   合邦問題(十九)   合邦問題(二十九)
合邦問題(十)   合邦問題(二十)   合邦問題(三十)