今日も早速、昨日の続きを。

朝鮮「タイムス」が発行停止処分となったのは、五十八銀行に関する記事によってらしい事は分かった。
一方の冲田の退韓処分が何故起きたのか、っつうか、冲田が誰かすら分からない状態・・・。
それでは1908年(明治41年・隆熙2年)4月23日付『警秘第1515号の1』の続きより。


同胞の立場を如何
朝鮮「タイムス」 記者 橘 香橘
統監政治の懐柔策は根本的に誤り居れり。
之れ、韓国の民情を知悉せざるの罪なりとて、農業工業商業の状態より文学制度の現状を縷述し、韓国民は物質的に滅亡し、精神文明の資格なく、遊食の民にして到底済度すべからざるの国民なりと論じ、日本官憲が資力を盡して改善に努むるも、何等奏効するものにあらず。
亦、彼等は忘恩不義不節操の徒なれば、懐柔策の効力なきを以て根本的改善を加へよと反覆論議するや、反て聴衆の厭悪を招き、冷評に了りたり。



韓国民は物質的に滅亡し、精神文明の資格なく、遊食の民にして到底済度すべからざるの国民なり。(笑)
おまけに、彼等は忘恩不義不節操の徒。
だから、統監府の懐柔策は韓国の民情を知らない為の誤りであり、根本的改善を加えよ、と。

合ってるじゃん。(笑)
何で聴衆がひいちゃうかなぁ。(笑)


居留民と新聞
朝鮮日日新聞社 主筆 今井 蓼洲
統監府は、不当に吾人の言論を抑圧せり。
諸君も亦、余輩の弁論を妨害するの権利なしと、前弁士に対する聴衆の冷評を諧謔的に反駁し、聴衆の喝采を博し、更に伊藤統監は御人よしにて、決して悪人にあらずと揶揄一番し、韓国の発展は官憲の力のみにあらずして、汗を流し、手から■を取るの百姓に依て経営せられつつありと説き、統監府が自治団体の施設に甚しく干渉を試みるは、統監政策の誤れるものなりと、例を英国殖民地に執れり。
而して統監府は、経営者の同胞を退韓せしむるより、寧ろ同府に余りある官吏を退韓せしめよと論じ、次に官憲が韓民に厚く同胞に薄きは、余輩の飽迄不当を鳴らさんとする所にして若し此上不当の抑圧に遭遇せば大に覚悟ありと絶叫し、昔秦の始皇は3,000の儒者を害せり。
統監が、京城御用日報を除き他の新聞記者全部を害せんとするも、余輩は決して之を恐るるものにあらずと結論せり。



いや、だから、「醜賊退治」とか「在米同胞復讐せん」とか「碧眼奴」とか「電車焼打を煽動」と書いて発行停止喰らったお前のとこが、不当な言論抑圧とか言うな、と。(笑)
伊藤博文が、お人好しだというのは同感。(笑)
で、次が問題。
要は、日本が施設など作って干渉せずに、英国のような植民地政策をとれ、と。
この演説会のテーマが決まっているとすれば、今までの官民共同経営等の演説の見方も変わってくるのだが、さて・・・。


言論の自由
韓鮮新報 主筆 木塚 常三
独逸の国民が自由を尊び、英国亦自由を尊重し、亜米利加は我に自由を与へよ然らざれば死を与へよと叫び、欧米各国の自由を尊重する如斯。
而して是等「チユトン」人種、「アングロ」人種、「アメリカ」人種は厖大の種族なり、文明の先駆者なりとて、欧米の自由主義より説き起し、我国と雖も古来自由の精神は正大の気浩然の気と相通じ、天地の間に磅磚たり。
然と雖も、日本の自由と欧米の自由とは其間多少の差違あり。
即ち、日本は彼に比し優美なり云々の前提を置き、夫の大邱民長問題に対し理事官が野蛮の極たる退韓命令を発したるは、冲田某の行為を危険なりと認めたるに依るが、固より余は同地民長問題に付多少の権略行はれたるを聞く。
然れども、韓国従来の自治発達の歴史に徴すれば敢て珍とするに足らずと、氏野理事官の処置に非難し、転じて「ビスマルク」の殖民政策に模倣せる、統監の杓子定義的政策に反省を促すと論じ、再転して朝鮮「タイムス」の五十八銀行問題に関し、突然発行停止の災厄に罹れるを悼み、如斯んば到底新聞事業の成立は望むべからずと慨し、最後に、統監は嘗て大阪市長の当時敏腕の聞えある現時の鶴原総務長官すら尚其意見を徹底し得ざる由なれば、統監に対する忠告者は我々新聞記者の外になしと結論せり。



さて、この木塚常三の演説概要において、冲田某が何故退韓命令を受けたのかが少しだけ伺える。
大邱民長問題について多少の権略が行われたが、それは韓国の従来の自治発展の歴史に較べれば珍しいものではない、と。
いや、韓国の従来の歴史と同様だと、退韓命令出されて当たり前じゃないかと・・・。
そして、これは統監の杓子定義的政策であり、反省を促す、と。

つか、昨日からの弁護士石黒行平を初めとする演説要領を見ていると、まるで冲田某の退韓処分が不当処分であったかのように見えたのだが、どうやらその原因が無かったとは言い切れないようである。


矛盾せる政策
大韓日報 記者 山道 亞川
母国の韓国に対する政策は、政治のみ生命にあらず。
経済的発展と相関連し、円満なる発達を遂ぐべきなり。
換言せば、官吏と商人と労働者の三者相待って、其基礎たらしめざるべからず。
此見地よりして、統監府の官吏本位は其根底に於て誤れるものならざるやを疑ふと説き出し、優等国家が劣等の国家に臨む最後の目的は、天下を帰一するに在り。
即ち韓国を母国に同化せしむるに在り。
然るに統監政治は人道主義を基とし、矛盾せる政策を施しつつあり。
今、統監府の方針にして吾人の眼に映する点を列示せんとて、暴徒鎮定に対する方針、我同胞在留民に対しては、初め武断主義たる兵力に訴へ、中頃人道主義に立戻り警察行政主義に移り、最後に半鉄砲行政の憲兵主義を執り、近々一年に充たざる間に3たび変遷し、為に韓人に鼎の軽重を計られたるは一定の根本なき結果なりと論じ、後者に対しては曩に電車問題に関し同業朝鮮日々新聞が発行停止の厄に遭ひ、今又朝鮮「タイムス」、五十八銀行記事に関し同じく発行停止の命を受け、余輩は敢て発行停止を悲むものにあらず。
是等停止の為に統監政治が円満に発達せば寧ろ喜んで犧牲となるを辞せずと論じ、次に大韓毎日申報の如きは外国人に関する故ならんも、統監政治を妨害するに拘はらず何等制裁を加へ得ざるを慨ん。
最後に、世に統監府の御用記者なるものあらば、余輩は母国4,000万同胞の御用記者、即ち日本帝国の忠実なる御用記者なり。
然れば、不法の退韓命令何ぞ恐るる所あらん。
吾人の言論を抑圧せんと欲せば、吾人生命を絶ち、頭脳を粉砕して後抑圧せよと云ふものなりと結論せり。



優等国家が劣等の国家に臨む最後の目的は、天下を帰一するに在り。即ち韓国を母国に同化せしむるに在り。
併合論ですな・・・。
しかも、統監府が人道主義を基本にしている事を批難。(笑)

尚、一年の間に三度方針が変わっているというのは、まずは「武断主義たる兵力に訴へ」は、1906年(明治39年)2月8日の勅令第18号『韓国ニ駐箚スル憲兵行政警察及司法警察ニ関スル件(レファレンスコード:A03020662000)』及び、1906年(明治39年)10月29日の勅令第278号『憲兵条例中改正加除韓国ニ駐箚スル憲兵ノ行政警察及司法警察ニ関スル件廃止(レファレンスコード:A03020688000)』の流れの話か?

次の「警察行政主義」については、1907年(明治40年)7月24日の第三次日韓協約及びそれに基づく、1907年10月26日付けの『警察事務執行ニ関スル取極書』の話であろう。


取極書
統監府及韓国政府は、日本政府が明治40年7月24日締結日韓協約第5條に依り任命せられたる韓国警察官をして、当該日本官憲の指揮監督を受け、在韓国日本臣民に対する警察事務を執行せしむることを約す。



第三次日韓協約の第5条により任命された韓国警察官、つまり統監の推薦する日本人警察官に、在韓日本人に対する警察事務を執行させる、と。
これは、治外法権に関連して警察権を執行させる為の特例措置という事になるのだろう。
つまり、日本人といえど、韓国官吏であれば治外法権により在韓日本人に対する警察権の執行に制約を受けるという考え方と思われる。

「憲兵主義」に関しては、1907年(明治40年)10月7日の勅令第323号、『韓国ニ駐箚スル憲兵ニ関スル件(レファレンスコード:A03020733800)』に関連する事を指すのだろうか。
イマイチ、時系列が違うので各比定について自信は無い。(笑)

そして、例の電車問題について朝鮮日日新聞を擁護。
大韓日報はこの電車問題に関して、理事官から注意を、「コールブラン」からは中止要請を受け記事の掲載を取りやめたのだが、ここまでおっしゃるなら、両方無視して記事を掲載し続け、朝鮮日日新聞と一緒に発刊停止処分食らえば良かったのに。(笑)

吾人の言論を抑圧せんと欲せば、吾人生命を絶ち、頭脳を粉砕して後抑圧せよ」って、負け犬の遠吠えにしか見えないわけですが。(笑)


今日はこれまで。
明日もこの史料の続きを。


京城日本新聞記者団(一)
京城日本新聞記者団(二)