最近、取り上げる史料の内容的なものなのか、併合前という時期的なものなのか、イマイチ突っ込みの冴えないdreamtaleです。
ども。(笑)

固い内容ばかりだと、書いてるこちらまで肩が凝るので、たまにはネタを。
そして、次の連載用の調査時間を。(笑)

まぁ、ネタと言ってもそれほど今までの史料と乖離している訳でもない、1909年のお話。
まずは、1908年(明治41年・隆熙2年)12月1日付『高秘収第519号』から。


全羅南道光州居米国人耶蘇宣教師「ペ」牧師の信徒たる高永柱なる者は、常に各地に徘徊して「教徒は納税の義務なし。又本年度結税は金12円なるも、実際金8円を納付せば可なり。若納税の義務を免れんと欲せば、速に耶蘇教に入教するに如かず。」と説き、愚民を惑すこと尠少ならず。
之が為め耶蘇教徒中、金8円以上の結税を納付すべからずとの決議を為したる地ありて、高永柱の行動は不穏なるものあるを以て、昌平駐在巡査は、厳重戒告を加へ、同人も将来言行を慎むべきことを誓ひたり。
尚視察中。
右及報告候也。



< `∀´> <キリスト教信者は、税金納めなくて良いニダ!

< `∀´> <本当は税金12円だけど、8円納めれば良いニダ!


で、それに乗っかって8円以上の納税すべからず、という決議を為す所も出てくる、と。(笑)
もう一丁、1909年(明治42年・隆熙3年)5月27日付『高秘収第3017号の1』より。


全羅北道に於ては、耶蘇教に入教するときは政府の支配を脱し、従て租税の負担を免れ得べしとの浮説を信じ信徒となり、又韓人伝道師も、之を信徒募集の口実と為すの傾あり。
現に光州郡古内廂面教徒の如きは、道路修繕又は面洞費の負担を肯せざるのみならず、面洞長の命令に従はず、租税の如きも数年納付せざる者あるに至れり。
右及報告候也。



7月24日のエントリー等に類似した話ですな。(笑)
このように散々好き勝手してたわけですが、ある時期を境に微妙に情勢が変わってきます。
その境となったのが、1909年(明治42年・隆熙3年)7月12日の『韓国司法及監獄事務委託』。

1909年(明治42年)11月16日付『憲機第2218号』を見てみましょう。


従来、耶蘇教信者の加入者多かりしは、要するに治外法権を有する外人が経営する耶蘇教会に籍を存さば、濫りに官憲の制肘を受けざるのみならず、同教の力に恃まば生命財産の保護も亦安全なりとの思想より入教せしものにして、真に基督の教旨を守らんとして入教せし者は極めて少数なるが如し。
之れが為め、司法権委任に伴ひ、不遠治外法権撤去せらるならんと予想せる在京城外人宣教師及教師間には、治外法権撤去の暁きには、信者等の教会に対する依頼心薄らぎ、入教する者なく、従て教務不振の状態に陥るなきやを憂慮し、之れが善後策に付き近来寄々談議しつつありとの説あり。
以上。



ま、その外国人宣教師・外国人教師も加入理由を分かっているわけです。
逆に、以前取り上げたとおり、プロテスタント系宣教師自体がそれを標榜して信者を増やしていた場合もあるわけで。
ある意味自業自得ですな。

で、実際にそういう事例も出てくるんですね。
1909年(明治42年)11月27日付『憲機第2283号』。


京城東部従二品鄭雲浩、前兵使李文鄕、正三器劉鎭季外20名は、何れも往年相当なる官職にあって権威を逞ふせし者なりとのことなるが、去る40年の政変当時韓皇帝の譲位を忿慨し、耶蘇教に入り同教の勢力を藉りて何事か為さんとの野心より、連名にて東部蓮洞耶蘇教会(長老派)に入りたる由なるが、司法権委任の実施以来は同教に籍を置くも何等利する処なしとて、2、3名宛漸次退教し、昨今右23名の一団は全部脱教せりと。
之れが為め、同教会外人牧師等は将来を憂慮し、目下同教会牧師従二品李源兢を介して、更に入教方を勧誘しつつある由なるも同人等は応ずる模様なしと。
以上。



<* `Д´> <司法権が日本に委任されたら、キリスト教に居る意味無いのなの!

こういった韓人が入信し、且つ之まで書いてきたとおり治外法権だの税金免除だの言ってれば、そりゃあ宋秉畯がああ言うのも無理は無い気もしますわな。

このようにして、司法権が委任された事を以て信者が減る。
当然寄進も減る、と。
1909年(明治42年)11月29日付『憲機第2292号』より。


鍾路基督青年会にては、去る25日午前11時頃より在京の英京宣教師等男女合せて約40名、韓人牧師及重なる役員約30名同館楼上に集合し、例年の通り監査会を開き、会費の出納帳簿の検査、教徒の出入及学生教育の状況、経費の予算等に関する諸役の協議を為せし由なるが、午後1時頃よりは韓人は一切退け、外人而已にして約1時間に亘り何事か凝議する処ありしと。
而して其内容に就き内査し得たる処に依れば、司法権委任実施後前途を悲観し退教する者、或は会費の出金を怠る者、学生の退学する者、漸次増加の傾ありて、監査の結果昨年に比し甚だ不良なりしより、之が善後策に就き協議せしものなりと。
当日は、英米領事も出席せりと。
以上。



司法権委任実施後前途を悲観し退教する者、或は会費の出金を怠る者、学生の退学する者が増え、監査結果は不良であった、と。
そして、何とか巻き返そうと思っているこの史料の直後、一進会の合邦請願が出されるんですね。
これまでの経緯を見ても分かるとおり、在韓宣教師は主に韓国人に迎合することによって信者を増やしており、この合邦請願に対しても、一大演説会を開催しようとします。
1909年(明治42年)12月9日付『憲機第2397号』。


京城内各耶蘇教会員は、今般の時局問題に関し一定の運動をなすため、来る14日、鐘路青年会館に於て一大演説会を開催することに決定せしと云ふ。
以上。



ところが。
1909年(明治42年)12月11日付『憲機第2427号』。


京城駐在英国総領事

右京城内耶蘇教宣教師に対し、今回の時局に対し教徒は一般に騷擾等の行動に出でず、謹慎すべき旨の諭旨を発したりと。
以上。



お前等いい加減にしろよ、かな?(笑)
まぁ、日本が依頼した可能性は勿論あるわけだが。
これに従ったか否かについては、合邦請願の際に触れる・・・かも知れない。



あれ?
オチが無い上に、いつの間にか合邦請願の話の流れに・・・。
ネタ&休憩のつもりだったのに、変だなぁ。(笑)