長い史料を引用しているというのも、間延びしている原因の一つだと思った昨今。
昨日は千客万来(笑)で、嬉しい限り。
そういった読者の方々のためにも、なんとか、面白く呼んで貰う工夫だけはしておきたいなぁ・・・。

ということで、前回に引き続き『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』、1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』について。


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ロ.耶蘇教徒の状況

耶蘇教徒は依然として排日思想極めて旺にして、各地方に於ける耶蘇教徒の勢、亦侮るべからざるものあり。
渠等は、動もすれば我が官民に拮抗せんとする傾向あり。
去5月中、義■守備隊兵卒と耶蘇教学校生徒と衝突を惹起したるが如きは、全く同生徒が我兵卒を蔑視し、不遜の行為をなしたるに原因したるものなり。
又、耶蘇学校に於ては近来解散兵を傭ひ、日々学事を曠廃して兵式操練を教習し、銃剣を携へ、喇叭を吹き、隊伍を組んで市中を闊歩するが如き虚勢を張り、我官民に対し、暗に其の威を示さんとするが如き不穏の妄動を為し、又■は之を具て国権回復の■機となし歓迎・奨励するが如き状態にして、漸く一般に■■するに至れり。



勉強を教えずに軍事教練。
おまけに隊列組んで市中を闊歩ねぇ・・・。
1908年8月26日に発布された「私立学校令(隆熙2年韓国勅令第62号)」については、8月7日のエントリーにおいて若干ではあるが取り上げた。
その後、邦訳された条文を入手できたのでその内公開するが、こんなこと学校でやったらどうなるか、分かるだろうにねぇ・・・。(笑)


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又渠等は、常に地方官憲を蔑如し、法令を無視する悪習あり。
過般、私立学校令の施行に際し、平安南道各地於ける耶蘇教学校は■■師の指揮の下に設立したるものなるが故、教科書の撰択等は■■師の権内にあるが故に、学部大臣の検定或は認可を受くるの必要なし■鼓吹するものあり。
又、或地方に於ては、地方官憲の召喚又は訊問等に際しては、「自分は耶蘇教徒なるが故善良なる者なり。官憲の訊問に応ふるの義務なし。」と主張するが如き者ありたりと云ふ。
尚、耶蘇教会の多数を占むる在平壌大成学校に於ては、去月30日排日鼓吹者安昌鎬なる者の歓迎会に際し、室内の装飾の各国々旗中より独り日本国旗を除き、殊更に掲揚せずして排日の意を表したるが如き蛮行を演じたる事実あり。
此等の例は、耶蘇教徒■に於ける排日思想が如何に磅礴たるかを察するに足るべし。

外国宣教師は常に各地に往来し布教に従事し、傍ら病院を建設して信徒中の患者に施療し、或は学校を起し其の子弟を教育し、一定の着■を給する等、巧に信徒を■■し地方到る所に教会堂を建設し、其の規模頗る広大なるものあり。
専ら信徒の収容に■め、近来著しく信徒を増加したりと云ふ。
之れ其の手段の巧妙なるに因るべしと雖も、一は時局を利用し種々の甘言を弄し、一般人民を煽動■■した結果に他ならず、渠等は■に排日思想を助成しつつあること尠少なにあらざるを窺知するに難あらず。



しかし法治の根付かない国ですなぁ・・・。
まぁ、8月6日のエントリーの如く、外国人宣教師自体が「韓民にして我教徒たるものは我教会の保護に依り、濫りに官憲制肘を受けず、生命財産の安固を保障し、且つ已往の罪悪と雖ども其罪を逃るを得ん」等と言って勧誘しているわけで、仕方の無い部分ではある・・・のかな?

まぁ、いい加減な布教は兎も角として、病院や学校が建設されていったのは事実であってその点は素直に評価したかったのだが、軍事教練やっちゃ駄目だろ。(笑)

大成学校は安昌鎬(安昌浩)の尽力により建設され、校長ともなっている。
この(読み間違いでなければ)歓迎会については何故行われたかは不明であるが、どうも日本国旗事件として話題にはなったらしい。
今回の史料の2ヶ月半後、1909年(明治42年)2月18日付の『憲機第383号』をちょっと見てみよう。


一.安昌浩及李甲の両人は、2月14日午後9時半着列車にて京城より来り、平壌に1泊し、2月15日午前7時40分発北行汽車にて平安北道龍川郡に至りたり。

二.用向は確と判明せず。
雲峴宮の訴訟事件なるべしとも云ひ、或は大成学校に関する件なると聞くも、何れも疑ひあり。
大成学校教師、車利石の言に依れば、安昌浩は彼の地に用件あるべき筈なければ、李甲と共に李甲の居宅なる肅川に至りたるべしと云へりと。

三.大成学校廃止説に就ては、父兄間に多少恐慌を来し居るが如し。
一般に、過般の日本国旗事件に関し廃校せらるるものと思ひ居る者の如し。



ご覧のように、大成学校が日本国旗事件の為に廃止されるという噂が流れるわけです。
ええ、噂。
6月には夏期休暇に入りますし、翌年の1910年の史料にも出てきますし。
統監府、結構噂と戦う場面が多いわけですが。(笑)
こういう時、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』の一節

どんな男も、できるかぎりニュースを集め、あるいはつくる。
耳に入れたことを、「嘘と誇張で潤色する」
朝鮮は流言蜚語の国なのである。
朝鮮人は知っていること、というより耳にしたことを人に話す。


を思い出してしまうんだよねぇ・・・。


イザベラおばさん


更に、現代でもあまり変わらないのが悲しい所。
いや、国旗燃やさないだけ、現代韓国よりマシだったりして。(笑)


今日はこれまで。
次回で、この史料もようやくお終い。


韓国地方政況ノ概要(一)
韓国地方政況ノ概要(二)