前回は、四方八方からの内閣攻撃に疲れ果てた首相朴斉純が辞意を固め、伊藤博文が留任を説得している場面までを記述した。
今日もこれに引き続き、アジア歴史資料センターの『1.政況/4 韓国内閣更迭始末(レファレンスコード:B03041513200)』を見ていこう。

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前述ぶる如く、今日は韓国に於て国歩艱難の際なり。
此の困難を切抜けんとするには、宜しく非常の勇断と堅忍不抜の意志を持ってせざるべからず。
而して、現政府と趣旨目的を同ふする或る民間の政治団体と握手するも亦一策なるべしと諷剌し、退て考慮せんことを求め置けり。
超えて本月6日、朴参政来訪。
再び辞職の意を洩し、嗣て又同8日、農商工部協弁黄鐵を遣はし伝へしむるに、自分に於て種々考慮したるも、到底辞意を翻すの余地なし。
就ては強て本官の同意を求むるとのことなり。
依て本官は、既に其の意を閣僚に告げ意見を徴したるや、又皇帝陛下に之を奏上したるやを問ひたるに、2、3の同僚には略々辞意の在る所を告げたるも、陛下には未だ奏上せずとのことに付、何れ本件に付ては更に何分の義、本官より決答を与ふべきを約し置けり。



民間の政治団体との提携も、現状取りうる一策である事については、前回は李完用から述べさせたが、今回は伊藤から直接考慮するように述べた、と。
しかしながら、朴斉純の辞意は翻らなかったのである。

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依て同夜、国分書記官を朴参政の許に派し告ぐるに、今参政大臣にして現内閣を去りたりとて、所謂五賊の名を脱すること能はざるは勿論、随て身辺の危害も軽重する所なし。
左すれば、寧ろ現に従事中に在る施政改善の目的を貫き、始めて一般国民をして、現内閣が先見の明ありしことを知悉せしむるの優れるに如かず。
将又韓国に於ける情弊は、内閣の頻繁なる更迭に在り。
現内閣の如き、古今未曾有と称する長命を持せり。
然るに今其の首相にして更迭の俑を作らんが、又旧弊を襲踏するに至らん。
果して然らば、政治改良の如き年月を要する事業は、遂に中道にして挫折するに至らんことを恐る。
事情如斯なるが故に、参政の辞退は独り現内閣に不利益なるのみならず、実に国家の不幸と謂はざるを得ずとのことを勧告せしめ、再応其考慮を促せり。



五賊は、今で言う乙巳五賊。
内閣を辞めたとしてもそのレッテルは剥がれないのだから、施政改善を進め、その結果で国民に分からせるしかないよ、と。
又、内閣がコロコロかわる旧弊に戻れば、政治改革のような時間のかかる事はできないとして再考を促したのである。
前回のラストでわざわざ説明するまでもなく、伊藤が述べてましたな・・・。

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然るに朴参政は、矢張り前同様の理由を繰返すの外、殆んど他に思慮なきものの如し。
依て同書記官は、従来の関係上此等重大の事を決するに当りて中間人を介して相談するが如きは其の当を得たるものと認めざるを以て、自ら統監に面謁し、意中を吐露して其の裁を求められたしとの意を洩らしたるに、同官は明日にも統監邸に赴き自ら実情を述ぶべしと答へたりとの旨を承知せり。
其の翌々10日午前、朴参政来館の上重ねて辞職の已むべからざる所以を述べ、同意を求めたるに付き、果して然らば本官に於ても之が善後策等に関し十分考慮すべきを以て、追て何分の決答を与ふる迄、此の事の世間に暴露せざらんことに注意せられたき旨を相約し、且既に同僚に謀りたるやを確めたるに、内部・軍部・度支部の3大臣に畧々其の意を洩したるに、若し参政にして辞職せば、彼等も一同袖を列ねて去るべしとのことを申居れり。
皇室には如何との問に対し、彼は未だ奏上するの機会を得ずと答えたり。



どのような説得を為しても辞意は翻らない。
また、同僚である内部大臣李址鎔、軍部大臣權重顯、度支部大臣閔泳綺の3人に辞意を伝えた所、もし辞職すれば彼等もまた辞職すると言っている、と。
ここに於いて、伊藤は善後策を講ぜざるを得なくなったのである。

この時の朴斉純の心境は、果たしてどのようなものだったのだろう。
やはり、植物首相になりたいとか、“会う悪口を言われて暮すことくたびれる”と思っていたのだろうか。(笑)
まぁ、知る術は無いわけだが。

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本官以為らく、朴参政の決心にして斯く堅固なる以上は、到底其の意を翻へさざるえく、而して朴参政にして内閣を去るとせば、果して何人が其の後継者たるべきか。
是れ、頗る重要の問題に属す。
若し皇帝側をして其の選に当らしめば、則ち元老大臣中に之を求め、其の能く陛下の意を迎合するものに落選すべきは必然にして、此等元老大臣なるものは一般の形勢に通ぜず、且其の意志薄弱にして、到底聖意に悖るも施政改善を決行するの勇気に乏しく、偶々時局難に方りては直に辞表を呈し其の地位を去らんことを努め、能く我方の対手となりて責任を完ふすべしとは信ずべからず。
左すれば、之を措て他に適当の人材を求めんこと至難にして、絶望と云ふも敢て不可なし。
故に現内閣員中に就き、之を択ふに如かずと為せり。
学部大臣李完用は、協約締結の当時に於ても各大臣に先だち断乎たる決心を示し、協約締結を賛助したるは当時本官の認むる所にして由来彼の意志は頗る強固に、且つ陛下に対する態度も韓国人中稀に見る所にして頗る大膽なる性質なれば、之をして内閣を組織せしむるは、今日に於て最緊肯を得たるものと思料し、先づ彼を招き、略々其の意を洩したるに、彼は朴参政の去るを非常に惜み、飽迄其の辞意を止めたし。
而して万一朴にして留らずんば、不肖其の任に膺り専心自家の所信を貫かむことを言明し、且彼に於て新内閣を組織するに方りては、

第一.一般の形勢に通じ、日韓の位地を知り、之が提携を現実ならしむること。
第二.施政改善の実を挙ぐることに熱心なるもの。
第三.如何なる困難に遭遇するも、以上の目的を達するに鞏固にして、中途にして沮喪せざるもの。

此の三要素を具ふる人物、則ち宮中の妨碍に遭ひ、或は宮中の意に反するも敢て避けざる的の、勇気ある人物を挙ぐることにすべしとの意を以てせり。



高宗の政治・外交オンチについては、当ブログで再三指摘してきた。
これに迎合するような大臣では、当然施設改善など出来る筈もない。
しかし皇帝側に大臣を選ばせれば、必然的に元老大臣から人選されるだろう。
元老大臣は一般の情勢を知らず、意志薄弱であり、皇帝の意向に反しても施政改善断行をなす勇気は無く、難局に遭遇すれば直ぐ辞めてしまう、と。(笑)
酷い言われようだが、事実なのだから仕方が無い。
露館播遷(俄館播遷)から日韓協約までの、比較的に政治的フリーハンドを得た際、大韓帝国が何を成し遂げたというのか。

そこで、参政大臣に選ばれるのが李完用である。
この辺り伊藤の既定路線であろうが、朴斉純の辞意を翻すために1週間以上を費やしている事を考えれば、タイミングとしては想定外だったと思われる。

一方その話をされた李完用は、朴の留任にさらに努力することを前提として、それが適わなかった場合には引き受ける事を言明。
組閣の際の人選については3つの項目を挙げ、宮中の邪魔があってもそれらを全う出来る人物を選ぶと述べたのである。

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次て本月16日、本官は皇帝陛下に内謁見の機会を以て、朴参政辞任の意ある旨を奏聞したるに、陛下は間接に朴参政より人を以て其の辞意を洩したることあるも、未だ親しく本人より何等聞く所なし。
又、独り参政のみならず、其の他の大臣中にも同様の意志を有するものあるやに聞くとの旨御沙汰に依り、本官は、何れ此のこと事実として現はるるに至らば、更に参内して意見を奏聞し、聖意の在る所を伺ひ、善後策を講ずべしとのことを奏上し置きたり。
其の後、朴参政の内容を察するに、彼は益々其の辞任の意を固ふし、到底留任の意志なきを確め得たり。
依て李完用を招き其の意見を徴したるに、彼も亦数3回朴参政を訪問し、強ゆるに留任のことを以てしたるも、更に其の効なしとのことを申出でたり。
右の如き事情なるを以て、最早此の上朴参政に反覆するも無用と認め、本官は之に最後の決答を与ふるに決せり。
而して、その後任として李完用を推すは、極めて陛下の意に適合せざるは勿論にして、是れ甚だ容易の事に非ずと信ぜり。
去りながら、一旦陛下に向て言緒を啓くの日は、必之を実行するの決心を取れり。
李完用は、新内閣組織に当りて専ら其の人選を難んじ、熟慮の結果、内部大臣に任善準、軍部に李秉武、学部に李載崑、度支法部は前任官を其儘留任せしめ、一進会長宋秉畯を農商工部大臣に推さんことの希望を有せり。
右の内、任善準の為人に付ては殆ど初聞に属し、果して適材なるや否を知るに由なきを以て、内々之を確むることとし、其の他に至ては之に同意を与えたり。
併し、一進会長宋秉畯を此の際直に任用するが如きは、一般の状況に鑑み余り軽躁に失するを以て、今後時機を見て任用することとし、差当り李完用をして兼任せしむることとせり。



斯くて、1907年(明治40年)5月4日から始まった朴斉純の辞任話は、16日になってようやく高宗に告げられる。
高宗も既に風の噂で聞いており、おまけに大臣の中にもそれに伴って辞める者が居ることを人づてに聞いている、と。
誰が漏らしてるやら・・・。

その後李完用は、朴斉純に留任するよう再び説得するが、これも不発。
ここで伊藤は、朴斉純に辞任の承諾を与える事を決めた。
しかし、李完用を朴斉純の後任とするのが難しい事は、伊藤本人もよく分かっていたようである。
だからこそ朴の留任に意を注いだのであろう。

李完用は各大臣の人選を終え、伊藤に希望を伝える。
その中で、内部大臣の任善準については、伊藤もどのような人物か知らず、内々に調査することとしてその他には同意した。

そしてこの中に、一進会長宋秉畯が選ばれていたのである。
但し伊藤は、宋秉畯の入閣による様々な摩擦を懸念して、タイミングを見て任用することに決めたのであった。


今日はここまで。


宋秉畯入閣(一)
宋秉畯入閣(二)
宋秉畯入閣(三)