高宗と純宗、それぞれの証言が食い違う皇帝所有馬蹄銀処分事件。
本日で連載も終了。

それでは、最終的な調査報告である1908年(明治41年)2月22日付け、『憲機第91号』を見てみよう。


軍務教育課長
現役陸軍騎兵副領(中佐)正三品 尹致晟 31年

右者、明治41年2月6日、警視庁より京城憲兵分隊長へ身柄と共に事件移牒に依り、之を受け取調を為しつつあり。
其嫌疑の点は、明治40年7月中、致晟が侍従武官たりし当時、恰も海牙密使事件に伴ひ、林外務大臣渡韓問題に付、当時の皇帝(現太皇帝)に該問題解決の為めなりと密奏して馬蹄銀400個を詐取し、之を其兄尹致昭に交付し、致昭は之を3万400余円にて売却し、両人の私用に費消したりと云ふに在り。
其取調進行の状況、如左。

一.昨年陽暦7月中、致晟が太皇帝より馬蹄銀400個下賜を受けたるは事実なり。
 然して其下賜を受けたる月日は、致晟の供述に依れば、7月3、4日頃なり。

二.下賜を受くるに至りたるは、致晟が当時牙山に在る家族の窮状を数回奏上の結果、京城に家宅を購買するに充らしめられんとしたるものなる事は、本人及証人等の主張なり。

三.馬蹄銀400個は、厳妃の兄厳俊源が宮中より預り保管し居たるものを、太皇帝より致晟に与ひられたるものなり。

四.馬蹄銀の売却代金3万466円を以て、兄致昭の名義にて李根澤外5名より家屋8棟を買求む。
 此額3万1,300円。
(以降の金額との合計が売却代金を超えてしまうため、恐らく2万1,300円の誤り)
 又、天一銀行の負債、致晟及長兄致旿の分共合計6,000円を償却し、尚ほ残金3,000余円は、致昭及致晟に於て全く費消したり。
 而して長谷川大将に贈賄したる形跡を毫も認めず、又本人は、同大将に対する贈賄を全然否認せり。



さすがは最終報告。
今まで事件に関して知らなかった事が続々と・・・。

まずは、厳俊源が厳妃の兄である事。
厳妃は高宗の側室であり、英親王李垠の母である。


 李垠


次に、家屋を8棟も購入していた事。
生活困窮を理由にしていたのに、そりゃあ怪しまれますね。(笑)

では続き。


今日迄取調の結果は上記の如くにして、要するに皇帝より馬蹄銀400個下賜を受けたるは事実なり。
本件中に於て殊に取調の要目たるは、此金員取出の為め、長谷川大将の栄誉に関すべき言辞を弄し、密奏詐取したるが如きに在るも、其事実は、取調の結果之を認むるの証憑充分ならず。
警視庁に於ける本事件の基因は、侍従院副卿李会九が、太皇帝及現皇帝より致晟が当時上奏の内容を、近頃両陛下より聞知したりと謂ふに出でたることなるも、李会九其他関係者に調査を進行したる結果、右政事的運動奏聞の事実は、証憑上認むるを得ざる実況なり。
審理進行の結果は、以上の如し。
而して、韓国側の軍事警察に属する事件として、現役軍人の身分を有する本件を警視庁より交附を受くるに先だち、本職は、軍司令官長谷川大将并に副統監に対し、将来韓国側の軍事警察を取扱ふことに就き一応意見を確め置くの必要を認め、同官等の意見を伺ひたるに、軍司令官に於ては、昨年韓国憲兵隊の解散当時軍部大臣李秉武と軍司令官の間に、将来韓国側の軍事警察は、日本の憲兵にて取扱ふことに口約ありし趣にて、此事を本職と軍司令官と面談の際、幸ひ李軍部大臣も同席せしが、同大臣も之を言明せり。
尚、副統監に於ても右等の理由に依り、憲兵に於て韓国側の軍事警察を取扱ふことに何等の異議なき旨を以てせられたり。
如上、歴史的因由あるのみならず、昨年11月、韓国政府より統監に対し韓国警察権の執行に対する我憲兵の援助依頼の公文も有之。
況んや本件の内容中、長谷川大将に関する件あるを以て、韓国警視庁の本件移牒交付に応じ、之を受理するに至れり。

右本事件審理の今日迄の結果を一と先報告するに当り、併せて本事件を警視庁より引受けたる事由をも及報告候。



という事で、結果的には証拠不充分とされたのであった。
渦中の尹致晟も、翌年大韓工業会社の会長として収まっていることを見ると、恐らくは釈放されたものと考えられる。

さて、この事件。
純宗に嘘をつく理由が薄い事を考えると、本当のところはどうだったのだろうねぇ。(・∀・)ニヤニヤ


(完)


皇室所有馬蹄銀処分事件(一)
皇室所有馬蹄銀処分事件(二)
皇室所有馬蹄銀処分事件(三)