尹致晟の家族の生活困窮の為、高宗が3万円という大金を下賜するため、馬蹄銀400個を売っ払わせたというのが、前回の話の要約。
続きは、1908年(明治41年)2月7日付、丸山警視総監から古谷秘書官(古谷久綱?)への『来電』から。


去る5日書面報告せし、尹致晟が家屋代金として皇帝より3万余円の馬蹄銀を受けたりとの件に付き、侍従院副卿をして宮中の模様を窺はしめたるに、尹が昨年7月侍従武官として宮中にありし際、彼の「ヘイグ」問題の為め、林外務大臣の渡韓を止め且つ時局を無事に解決せんとて、暗に長谷川大将に贈る運動費の如く装ひ、之を取出消費したるものなりとの事実を発見せり。
而も本人は未だ自白を為さず。
右は、憲兵隊に引渡し、刑事訴追に付する。



ここで言う「侍従院副卿」とは、以降の公文から考えて李会九という人物の事である。
彼の内査によれば、馬蹄銀はハーグ密使事件の後始末の為の買収資金であったと。
そして、それを横領されたという話が出てきたのである。
んー、なんとなくデジャヴューを感じるのは何故だろう?(笑)

そして、この話の情報源がまた面白い。
それらの模様が別紙として記載されている、丸山重俊総監から伊藤博文への1908年(明治41年・隆熙2年)2月8日付『警秘第71号』より。


前侍従武官尹致晟が、時の皇帝陛下より家屋購買代金として下賜を受けたりと称する皇室有馬蹄銀に関しては、既報する処あり。
然るに爾来捜査を遂ぐるに、別紙関係書類の如く、尹致晟は皇室を欺瞞し、之を詐取したりと認むるものあり。
同人は身軍籍に在るを以て、一件書類と共に憲兵隊に引渡し、目下同隊に於て取調中なり。


○ 別紙 一

急報
昨夜報告せし、尹致晟が太皇帝より馬蹄銀400個(3万200余円)を引出したる理由に付内偵の末、今だ侍従院副卿李會九をして、現皇帝陛下が当時皇太子として同居せられありしに因って、試みに該件の内情を窺はしめたる処、左の事実を得たり。

一.李会九は陛下に対し、昨年尹致晟に家屋代として金員を下賜せられたりやと問ひしに
陛下は彼に家屋代として下賜せしことなし。
李、更に問ふ。
多数の馬蹄銀を下賜せられたるにあらずや。
陛下答へて、家屋代にはあらず。
斯は昨年、日本の林外務大臣が渡来せんとし内外憂慮せるとき、某日尹致晟は、林大臣の渡来を止めしめ、時局を無事に済すには、吾に術ありとのことを父君陛下に進言し、其運動費として彼に馬蹄銀を交附せられし事あり。
今考ふに当時朕等父子は、尹致晟に詐欺せられたるものなり。
此に於て李会九は、委細拝承せりとて御室を立出でんとするや、陛下は李を呼止め、尹致晟は彼の金を長谷川に渡さざりしが、若し与へしなば彼も全然憎むべきものにあらず云々。
李會九又問。
然らば、尹は長谷川大将に運動費として贈るとの口実なりしや。
陛下答へて、其辺は記憶せず。
兎に角、林外務大臣の来るを防ぐと云ふにありしは慥かなりと。
李会九曰く、彼尹は家屋代として陛下より数万の金を下賜せられたりとて、所々に家屋を買取りたりと云ふ
陛下曰く、尹家は元と富者と呼ぶにあらずや。
何故に家代を下賜するものぞと。
陛下又曰く、彼の銀塊は当時厳俊源の家に在りし筈。
聞く厳俊源は、警視庁に捕はると。
其は其の銀塊の為めなるかと反問せらる。
李会九は、厳俊源の捕縛せられたる理由は未だ聞知せずと答ふ。
此にて応答終へ、李会九は御室を退出したり。

一.要するに如上皇帝陛下の物語は、正に真相と断定せらるるも、尚ほ李会九は、為念、明朝徳寿宮を訪問し、陰に太皇帝に質して皇帝陛下今宵の応答と相違なきかを対照する筈。
本件は、元より極秘之を行はしむ。
果して、今だ得る処の如くならんが、尹致晟は直に刑事訴追に付すべきものと思料せらる。
右及急報候也

隆熙2年2月5日
在昌徳宮 呼子警視
丸山警視総監殿



情報源は純宗だったのである。
純宗の言によれば、その金は工作費だったのであり、「今考ふに当時朕等父子は、尹致晟に詐欺せられたるものなり。」であった。
そして、尹家は富者であり家代を下賜する筈がない、と。
1897年(明治30年)に日本の中央幼年学校に留学できる程の家庭であった事からすると、純宗の見方は確かであろう。
生活苦を訴えられて、家代として3万円を下賜したという話よりは、よっぽど信憑性のある話には違いない。
但し、朝鮮史の研究をする場合、常に「嘘」及び俗に言う「斜め上」を考慮しなければならないのが辛いところ。(笑)
素直にはいかないのである。
それでは続いて、高宗の証言である別紙2を紹介しよう。


 高宗


○ 別紙 二

隆熙2年2月6日午前中、侍従院副卿李会九が太皇帝陛下に面謁し、対尹致晟馬蹄銀交付事件の内容に付応答せし要領、左の如し。

李副卿 陛下は、嘗て尹致晟に金員を下賜せられたることありや。
陛 下 金を下賜せしことなし。
李副卿 銀塊を下賜せられたることなきや。
陛 下 銀塊は、300か400か下付したることあり。
李副卿 何の理由に因り御下付ありしや。
陛 下 尹致晟が父子の家屋を需むるに窮し、其代価に充つるとて屡々奏請したるによる。
李副卿 尹致晟の一族は皆富者にして、家屋を需むる代金に苦むものにあらず。
 何等かの運動費として陛下を欺き、其下付を請ひたるものにあらずや。
陛 下 否、然らず。
 家を買ふ為めなりしと。(此時、語調甚だ窮せられたる模様あり)
李副卿 然らば、該多数の銀塊は、一時彼に貸与せられたるものなるや。
 又だ全然下賜せられしものなるや。
陛 下 貸与にあらず。
 又下賜と云ふ訳にもあらず。
 不取敢、家代として懇請を容れたるなり。
李副卿 本件は、仮令何等かの運動費に支出せられたりとするも、事既往に属し今更明白となるも、陛下の宸慮を煩はすことなし。
 希くは、其真相を臣に内教し給はんことを。
陛 下 運動費として交付せず、全く家の代金に充つるが為めなり云々。(此答弁、亦甚だ曖昧にして明晰を欠けり)
李副卿 本件に付ては、実は昨夜、恐多くも皇帝陛下に奉伺したる処、陛下は該銀塊は昨年国難の当時(海牙事件)、尹致晟が林外務大臣の来韓を防ぐの運動を為さんと密奏し、其運動費として交付したるものなりとの御明答を拝承したるが、夫れとも御存知遊ばされずや。
陛 下 朕には、尹致晟が家を買ふの資なきことを以て、3回迄懇請したるにより銀塊を与へしに過ぎず、小朝(現皇帝陛下を指す)へは或は運動費と奏上せしかも知らず。
李副卿 当時御同居あらせられたる御父子の間柄に於て、斯くも御聞取の相違あるは、了解に苦む次第なり。
陛 下 (暫く答弁に躊躇せられ)朕は、家を買ふと云ひしことの外記憶なし。
李副卿 若し仮りに、尹致晟は家屋を求むる為めとして御下賜を請ひたりとするも、彼は該金員を以て、他に米店、雑貨店を買ひ、又銀行に支払ひ、其他雑費に濫費したる事実あり。
 此等の点に付て云ふも、彼は明かに陛下を欺きたるものにあらずや。
陛 下 欺かれたりと云へば云へ、家を買ふと云ふにより既に与えたるものなれば云々。(此時、答弁愈要領を得ざるに至る)

此に於て李副卿は、最早此上追窮するの不可なるを知り、且陛下の答弁振が尹致晟と牒合せられたるものなることを看破したれば、其儘辞退したりと。


しかし、「小朝へは或は運動費と奏上せしかも知らず。」ねぇ・・・。
もし、運動費として下賜した事が事実であり、それがばれればまずい事くらいは分かるだろうしなぁ。
まぁとりあえず、怪しさ満点ながら確かに尹致晟の供述と合致している、と。

ここで初めて話が出てきたわけだが、尹致晟は下賜された金の残金で米店・雑貨店を買い、銀行への支払いをして、その他雑費にも流用したとのことである。
この話を聞いても高宗は詐取されたと怒らず、要領を得ない答弁をしている。
何故だろう?(笑)


今日はこれまで。


皇室所有馬蹄銀処分事件(一)