李泰鎭の回答も無いので(一)
李泰鎭の回答も無いので(二)
李泰鎭の回答も無いので(三)



李泰鎭といえば、「日韓併合不成立論」で有名である。
少し詳しい方には、第3回韓国併合再検討国際会議で、イギリス人学者に思い切り論破された事でさらに有名であろう。

さて、その時日本人学者は何をしていたのか。
「思い遣り」を発揮していたのである。

勿論我々に「思い遣り」などというものは無い。
かといって、議論を挑むつもりも無い。
ただ淡々と質問を羅列し、それ自体を以て「韓国史学の権威」とはどういうものか、晒すのみである。

李泰鎭が何かを論述した際、我々がこう言えれば更に良い。

「お前、今度は史料読めたか?(ゲラゲラ」と。


それでは、最後なので再び画像付きで基本史料。

『機密第51号』

附属地図

残す質問項目は、あと三つ。


12.【報告書の作成された日時が、乙未事変の犯人たちに対して開かれた、広島裁判(1896年1月20日)より一ヶ月も前だった点に注目しなければならない。広島裁判法廷には、内田文献と同じ内容はまったく提出されていなかった。結局日本政府は、この報告書で見るように、真相を把握しつつもこれまで徹底して隠してきたということになる。】との記述について。
 
英語版記事に【and sent back to Japan on January 4, 1896.】とあり、ご承知と信ずるが、当該文書の接受日は明治29年1月4日である。如何なる意図を以て裁判日から、より離れた付日を強調するのか、その意図と学術的意義をご説明願いたい。
 
また、【広島裁判法廷には内田文献同じ内容はまったく提出されていなかった。】と断ずる根拠をお教え頂きたい。提出した記録が無い、というような「悪魔の証明」を用いられないことを切望する。
 
更に、既に繰り返しお尋ねしているとおり、当該文書は【由】字を以て伝聞であることを明示している。
如何なる理由を以て明確な証拠の如く扱い、【結局日本政府は、この報告書で見るように、真相を把握し】と断じ得るのか、その根拠をお教えいただきたい。
 
そして最後に、【徹底して隠してきたということになる】と断ずる根拠をお教え願いたい。この件に関しても、「悪魔の証明」を用いられないよう希望する。

まず、日本政府と裁判の関係において文書を語るのであれば、日本政府が接受した明治29年(1896年)1月4日を基本に考えるのが当然であろう。
「報告書の書かれた日時」に殊更言及するのは、どのような学術的意図を持っているのか、説明を求めている。

次に、別史料による(回答待ちの状態であるため、内容については、申し訳ないが差し控えさせていただく)が、内田定槌は11月某日、当該裁判の行われた広島地方裁判所検事正の草野宣隆から地図を送るように依頼され、翌日某人の模写した地図を送付している。
しかしこれは、草野の要求から見れば不十分な物であった。

その後内田は、「十一月二十二日小官ガ王城ニ入リタル(『機密第51号』より)」とあるように、景福宮に自ら赴く。
その結果として、草野の条件を満たす地図が作製されたと見なすのが妥当であろう。

さて、ここまで踏まえた上での質問である。

機密第51号添付の地図が、広島地裁に送られるのを禁止したとの史料は、管見の限り存在しない。
敢えて質問状においては、李泰鎭側の根拠のみを質問するに留めている。
勿論、不要な論争を招き、逃亡や論点をずらされるのを防ぐためである。

そもそも、伝聞に基づく記述などに、裁判における証拠能力があると思っているのだろうか。
まぁ、犬ですら目撃者にしようという、どこかの国ではあるのかも知れない。

三番目として、『機密第51号』は主として伝聞を記したものに過ぎないのであり、「真相を把握」とは到底言い難い。
また、内容的にも誰が殺害し、誰が焼いたのか等、実行犯については全く触れられていない。
果たして李泰鎭の言う「真相」とは、何の事なのであろうか?

最後に、「徹底して隠してきた」とは一体何の事であろう?
この『機密第51号』の内容を隠すことに、何らかの意味があると思っているのだろうか?
内容的に伝聞主体であり、さらに隠さねばならぬ程の事は書かれていない。
故に、「徹底して隠してきた」と断じた根拠を聞いているのである。


13.【全部で4巻からなる文書集の一部だ】

『朝鮮王妃殺害一件』は全3冊よりなる。
外交史料館で調査を行えば、自ずから明らかである。
如何なる理由から、自ら調査を行った事柄について不正確な発言を行ったのか、ご説明いただきたい。
仮に朝鮮日報側のミスであるならば、その訂正を未だに要求していない理由をお示しいただきたい。

一昨日のエントリーの質問4と類似する質問である。
どうも李泰鎭は、一桁の数字に対して、解釈に困難をきたすようだ。
私の指を五本貸してあげるから、折り曲げて数えてご覧なさい、とでも言いたくなる。(笑)

まさかとは思うが、史料の本物を見ていないなどと言う事はあるまい。

そう。
きっと新聞記者の書き間違いであろう。
うんうん。
・・・。


さて、最後の項目である。

14.朝鮮日報掲載史料画像について

朝鮮日報に掲載された史料画像は手写であり、機密第51号の原型を留めていない。くわえて、原史料の【御】字が失われ、更に【ニ】を【三】と誤写するなど、専門家の作業したものとも思われない。何者が手写したものか、お教え願いたい。
また、斯様に信憑性の欠ける史料画像を掲載することを阻止しなかった理由を、お教え願いたい。自らの主張の根拠たる史料が、誤った形で朝鮮日報に掲載されるのを看過なさるのは、如何なものか。
 同時に、今般の貴下の説が、影印史料に基づくのか、それとも朝鮮日報掲載の画像と同様の手写物に基づくのかも、併せてお教えいただきたい。

これは、既にNAVER上でも晒されているが、再度ここでも説明しておきたい。

まずは、朝鮮日報に掲載された画像を見てみよう。


(クリックで拡大)

最初に提示してある『機密第51号』とは、似ても似つかないメモである。
ちなみに日本の記事には、メモ部分は無い。

自説の根拠として提示するのは、原史料の複写物であるのが通常であろう。
また、質問中にあるとおり極めて杜撰なメモである。
まさかこのような「新発見」を行った教授が、原史料自体を持っていないはずもないだろう。

次に文中の「示セル」に注目して頂きたい。



振り仮名がふってある。
他の字には全く無いにも係わらず、「示」だけに振り仮名が附されているのである。
言うまでもなく、韓国人に振り仮名は不要である。
すると誰が手写したものであろう?という疑問が当然湧く。

そもそもこの状態であれば、我々の確認した原史料と李泰鎭教授の手元にある「史料」は異なっている。
対話の成立自体が困難となってしまうのである。

従って、質問14によってそれらを確認しているわけである。

尚、我々の手元にあるのは、外交史料館収蔵文書を正規の手段で複写したものである事を付記しておく。



さて、以上で質問状に対する解説は終了である。
ここまで読んで頂いた感想は、如何であろうか?

「バファリン作戦」は未だ続行中である。
しかし、返事があろうが無かろうが、私の言うことは一つだけである。



「さよなら、李泰鎭」