「南京大虐殺」流布写真143枚、証拠として通用せず 東中野・亜大教授検証


「南京大虐殺」の証拠として流布する写真の検証作業を続けていた東中野修道・亜細亜大学教授は三十一日、都内で会見し、証拠写真として入手しうる百四十三枚のうち、証拠として通用するものは一枚もなかったとする検証結果を発表した。

(中略)

検証の結果、今日流布する証拠写真の多くは、昭和十二年十二月の南京攻略戦から七カ月後に出版された「日寇暴行実録」(国民政府軍事委員会政治部編)と「外人目撃中の日軍暴行」(ティンパーリー編)の二冊を源流としていたことが明らかになった。

この二冊に掲載された七十枚は、いつ、どこで、だれが撮ったものか不明なものが大半であり、細部を詰めてゆくと、
明らかに合成と分かるもの
軍服が日本兵のものでないもの
初夏に撮られたとみられるもの
-が多数あった。
さらには、日本の写真雑誌に掲載された写真のキャプションを改竄(かいざん)して掲載した例も。

東中野教授によれば、こうした写真が「大虐殺」の証拠として検証されることなく次々に使用されていったという。
典型的な例は、昭和十二年十二月五日発行の「朝日版支那事変画報」の裏表紙に掲載された、代価を払って鶏を買った兵士の写真。「日本軍の行くところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」とキャプションを改竄されて「日寇暴行実録」に掲載され、さらに朝日新聞記者だった本多勝一氏の著作に「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」という説明をつけて掲載された。

 「源流の二冊は、反日プロパガンダとして作成されたもの。そこに掲載された写真を検証なしで流布したマスコミの責任は極めて重い」と東中野教授は話している。



写真や映像というものは、視覚的イメージに訴えるため、非常に分かりやすい資料である。
しかし、そこに潜む危険性を熟知しないと、簡単に騙される。

例えば、この写真。



戦場カメラマン沢田教一氏がピューリッツァ賞を獲得した、あまりにも有名な写真である。

しかし、何も知らなかったと仮定して、この写真に
「洪水に巻き込まれた親子」
というキャプションが付いていたら、どうなるであろうか?

イメージが全く変わってしまうであろう。
これが、写真、映像の怖さなのである。

写真、映像を歴史の証拠として用いる際は、撮影時期、撮影者、撮影場所、被写体、状況、初めて掲載された本など、少なくとも数カ所は明確にされている項目がなければならない。

もちろんそれは、朝日新聞の本多勝一のように、自社で出した書籍の写真を使って、そのキャプションすら改竄する不届き者がいるからである。