A1-芭蕉奥の細道宝珠山立石寺(1) ☆☆☆ 

宝珠山立石寺公式 

A1-芭蕉奥の細道宝珠山立石寺(2)

A1-芭蕉奥の細道宝珠山立石寺(3)

閑さや岩にしみ入る蝉の声

斎藤茂吉は此のセミはアブラゼミと断定したが

後にニイニイゼミと誤りを訂正した アブラゼミ

に対し小型の蝉である 小型であるだけに木に張

り付いていると なかなかに発見しづらい

「原文」

山形領に立石寺(りふしやくじ)と云いふ山寺あり。

慈覚大師(じかくだいし)の開基かいきにして、殊こ

とに清閑せいかんの地也なり。一見すべきよし、

人々のすゝむるに依よりて、尾花沢よりとつて返

し、其間そのかん七里ばかり也なり。日いまだ暮

くれず。梺ふもとの坊に宿かり置おきて、 山上の

堂にのぼる。岩に巌いはほを重て山とし、松柏年

旧しようはくとしふり、土石どせき老おいて苔こ

け滑なめらかに、岩上がんじょうの院々扉を閉と

ぢて物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這はひて、

 仏閣を拝し、佳景寂寞かけいじやくまくとして心

すみ行ゆくのみおぼゆ。

延暦13年 - 貞観6年1月14日
(794年 - 864年2月24日)
出生地については諸説あり、
岩舟町商工会公式
壬生寺(現・下都賀郡壬生町大師町)
美加保ノ関(栃木市藤岡町三鴨の都賀字館・佐野市越名)
三毳山東麓手洗窪(安蘇郡下津原、現・栃木市岩舟町下津原)
などの説がある。いずれにしても

現栃木藤岡町、岩舟町 佐野市周辺の交通の要衝地であったろう

慈覚大師円仁天台宗公式 
円仁の旅は国家事業に基づいたもの 東北蝦夷の鎮静化
円仁(慈覚大師)の足跡

808年比叡山延暦寺に入ります。唐から帰国した

ばかりの最澄の弟子となり 814年に21歳で出家

する。
838年、円仁が45歳のとき、遣唐船で唐に渡る。
また、唐での9年間を「入唐求法巡礼行記」全4巻

にまとめて847年に帰国します。
この書はマルコポーロの「東方見聞録」、玄奘三

蔵の「西遊記」とともに、三大旅行記として高く

評価されている。
円仁(慈覚大師)、第3代天台座主に その後854年、

円仁(慈覚大師)はこれは勅旨による初の座主任命で

あった。
享年71歳。で亡くなるが866年、円仁の死を悼ん

だ清和天皇より「慈覚大師」という大師号が贈られた。

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