A1-芭蕉奥の細道宝珠山立石寺(2) ☆☆☆
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最澄(さいちょう、766年〈天平神護2年〉もしくは767年〈神護景雲元年〉
- 822年〈弘仁13年〉)は、平安時代初期の日本の仏教僧。日本の天台宗の
宗祖であり、伝教大師(でんぎょうだいし)として広く知られる。近江国
(現在の滋賀県)滋賀郡古市郷(現:大津市)もしくは生源寺(現:大津市
坂本)の地に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。唐に渡って
仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて日本における天台宗を開いた。
父は三津百枝(みつのおびとももえ)
『叡岳要記』に、応神三十年、漢の献帝の子孫の登万貴王が、渡海して日本
に来て、その後、応神天皇の第九女を妻とし、滋賀郡に居を構え、比丘像を
造り、仏教を宣布、倭王から「三津百枝」という名を賜わったとあるが、史
実性は不明である。
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)
は、平安時代初期の僧。諡号は弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の宗祖
俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお。
宝亀五年(774年)に今の香川県である讃岐国多度郡屏風浦でお生まれる。
幼名を佐伯真魚と言い、父・佐伯直田公は多度郡の郡司でした。母親は阿刀
氏の出で、玉依御前と言うお名前で知られている。幼少期から仏教の信仰が
篤く、仏様に守られている逸話も多く残っている。
母方の親戚(叔父)で学者の阿刀大足に学び、都で大学寮に行き明経道を学
ばれた。しかし、十九歳頃から学問の道を捨て山林修行を。各地で修行をさ
れ、『聾瞽指帰』を書かれ、のちに『三教指帰』と改めた書で、儒教や道教
と比較して如何に仏教が優れているかを書くと共に 仏道に進む宣言を記さ
れた。
日本天台宗の宗祖である最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良
仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭(へきとう)に位置し、中
国より真言密教をもたらした。能書家でもあり、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三
筆のひとりに数えられている。
仏教において、北伝仏教(漢伝仏教)の大潮流である大乗仏教の中で、ヒンド
ゥー教の影響も取り込む形で誕生・発展した密教がシルクロードを経て中国
に伝わった後、中国で伝授を受けた奥義や経典・曼荼羅などを、体系立てた
慈覚大師誕生の地と言われる 誕生の地(栃木市岩舟町下津原)
常陸国風土記行方夜刀神
夜刀神社や常陸国風土記の伝承によれば夜刀神は蛇で、この地で池の堤防
を築こうとする人々に対して夜刀神が妨害を行い、壬生連麿(みぶのむら
じまろ)の命令で夜刀神が退散するという伝説が残されている。
推測するに夜刀神は産鉄集団で新たな農地を作ろうという開拓集団の
壬生連麿とイザコザがあったという話で、劇的に断絶の話ではない
何故ならいまだにこの地において,夜刀神側と開拓団側は共存している
のである



