今朝、
「2022年8月30日に
ミハイル・ゴルバチョフさんが
病気のためロシアのモスクワにて91歳で死去」
のニュース。
1985年から1991年までソビエト連邦共産党書記長。
1988年から1991年までソビエト連邦国家元首。
1990年から1991年までソビエト連邦大統領。
保守派クーデター未遂事件で挫折し、
ソビエト連邦崩壊で失脚に追い込まれました。
1980年代半ばに、
ペレストロイカ政策等の結果として
ソビエト連邦崩壊を招いて、
国内では批判にさらされました。
ノーベル平和賞を受賞、
大統領職を退いた後も、
歴史的に大変重要で印象深い国家元首の方です。
真由美
「2022年8月30日に
ミハイル・ゴルバチョフさんが
病気のためロシアのモスクワにて91歳で死去」
のニュース。
ソビエト連邦の第8代にして最後の指導者。
ソビエト連邦の最初で最後の大統領。
1985年から1991年までソビエト連邦共産党書記長。
1988年から1991年までソビエト連邦国家元首。
1990年から1991年までソビエト連邦大統領。
保守派クーデター未遂事件で挫折し、
ソビエト連邦崩壊で失脚に追い込まれました。
西側諸国との「東西冷戦」を終わらせました。
1980年代半ばに、
疲弊していた体制を立て直す「ペレストロイカ」政策と
情報公開「グラスノチ」政策に代表される
民主化政策に取り組みました。
ペレストロイカ政策等の結果として
ソビエト連邦崩壊を招いて、
国内では批判にさらされました。
ノーベル平和賞を受賞、
外国では高く評価されました。
他にも、
社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化・
東西ドイツの統一容認、
対立が続いていた中国との関係正常化、
ソビエト連邦の最高指導者としては初来日して
1992年に始まる北方四島のビザなし交流の提案、
アメリカとの核軍縮等、
さまざまな重要なことを行いました。
大統領職を退いた後も、
「世界平和」と「核廃絶」の活動をされていたようです。
(参考; 複数の新聞)
歴史的に大変重要で印象深い国家元首の方です。
安らかにお眠りください。
真由美