2022年3月21日に脳梗塞で倒れた父に、
2日後にそれを知ってから毎日送り続けた、
「おはよう」メールと「おやすみ」メール、
退院の日の
4月8日から送り続けた「ありがとう」メール。

父を看病してくれる継母に送り続けた、
「おはよう」メールと「おやすみ」メール。

父には、
「生きていてくれてありがとう」
という言葉を贈り続け、
継母には、
「毎日ありがとうございます」
という言葉を贈り続けました。

昨日は、
「ありがとう」メールの101通目。

100通は父にだけ。

101通目は、
父へのメールですが、
継母に向けても書いたもの。

11年前に継母からの贈物を父が私に渡してくれたから、
その「ありがとう」です。

これを最後に、
父への「ありがとう」メールを終了しました。

そして、
併せて、
父への「おやすみ」メールと、
継母へのメールを終了にしました。

喜ばれているのなら続けたい気持ちもありましたが、
喜ばれているのかわからなかったので、
私も大変だし、
やめました。

でも、
父への「おはよう」メールだけは、
私が続けたいから続けます。

私からメールを送らないと、
接点がなくなってしまいますから。

毎日送っていたメールを終了するお知らせのメール、
父には、
「一緒に暮らしていた時にはろくろく喋れなかったので、
毎日お父さんに思いを馳せながらメールを送れたのは、
良い思い出になりました」
と書き、
継母には、
「○子おかあさんが、
私の子どもの頃からの
『おかあさん』だったかもしれないのだなぁ
と感じながら、
毎日ほぼ同じ文面ではありましたが、
思いを込めてメールを書いたのは、
楽しい日々でした」
と書きました。

101日の間に言葉を尽くしました。

父も継母も沈黙してしまいましたが、
私としては精一杯、
メールでできる限り向き合いました。

もう内面に関して心残りはありません。

後は、
父が送ってくれると言っていた、
私の大学生時代のレポートはいつ届くの?
と思うだけです。

こちらは、
もう少ししたら聴いてみようと思います。

父と継母からまだ言ってもらえていないので、
自分で自分に言います、
「お疲れさま!」
「ありがとう!」
「とても幸せな時間だったよ」。

今日からは、
父と継母を手放して、
自由な私で好きな作品を書いていこう。

真由美