VOL 25  妊娠3ヶ月で やむなく中絶 実験台にされた苦悩の日々 | 教える喜び、書く喜び: 60代のライフワーク〜家族第一

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こんばんは 佐藤睦子です。

 

前の記事はVOL24 正義感あるふりをしたのは 親友が欲しかったから ピエロのような私がいた

 

今 コロナウィルス感染力が高い ウィルス

 

実は この記憶は 絶対忘れてはいけない記憶

 

私が 一人っ子で

母の干渉が激しかったため

 

長男の 奪い合い(笑)が あまりにも

辛かったので

 

もう たくさん 子供が欲しい

 

そう思っていたんです

 

 

 

ところが

 

息子が 2、3歳の時に 妊娠がわかり

有頂天になっていたのですが

 

 

なんと 主人が おたふく風邪にかかってしまったのです。

かなりの高熱で 入院するくらい 重症でした。

 

 

その時の私は

幼少の頃 体が弱かったので

きっと ほとんどの病気は やったよという母の言葉を真に受けて

 

 

お腹の子は 全然気にせず

 

 

ただ 主人の看病は

妊娠初期だったので

母に任せたような気がします。

 

 

 

やれやれと思ったら

長男も おたふくになっちゃいました。

 

 

 

でも 軽かったので

一件落着と思いきや

 

 

なんと 2週間後に 

私が おたふく風邪になってしまったのです。

 

 

そして高熱

 

 

お腹の影響を気にしながらも

薬も飲めず

熱が下がるのを 待ちました。

 

 

両頬は パンパンに腫れましたけど。。。

 

 

 

ふと 産婦人科に 問い合わせると

「赤ちゃんは 大丈夫ですよね?」と聞くと

 

 

なんとも言えませんと言われ

5ヶ月までまって 羊水検査をしましょう。

 

なんて 言われましたが

 

私は もう 普通に産むつもりだったのです。

 

 

 

しかし 叔父が

 

医者の友人が おたふく風邪のウィルスが

妊娠初期にかかると 100%重度の障害と言ってたから

中絶を早くしなさいと説得されました。

 

 

 

 

私はまだ産む気満々

 

 

だけど 叔父は

妊娠2ヶ月の時に 主人がおたふくになり

2週間後に長男がなり

その2週間後に 私が おたふくになった経緯がダメだと

そして 私の体を心配してくれた

 

 

ギリギリ病院に行って すぐ入院

 

手術って すぐ終わって帰ると聞いたのですが

部屋も 出産した人たちの病室

 

赤ちゃんの泣き声

 

一番辛かった時期

 

 

 

だけど なかなか 手術にならなくて

母が 医師に問い合わせたら

「おたふくの赤ん坊を自然分娩のようにして 取り出したかった」と言われたらしく

 

母は 怒って

「いい加減にして」と手術を早めさせたんだけど

 

その担当の医師は

超音波で

赤ちゃんが 生きているのを私の目の前で見せた

 

 

赤ちゃんは 羊水の中で

生きてた

 

 

もう私は

「産む 産みます」と騒いだが

 

 

医師は

「もう 無理です」

 

 

これって なんと言えばいいのか

 

だったら 私に見せなくてもいいのに。。。

 

そして 手術も下半身麻酔だけだから

頭はしっかりしている

 

「チェ ダメだった」の一言

 

そばにいた看護学生さんが 私の手をぎゅっと握ってくれたのを

今でも忘れない

 

 

 

医師の実験のせいで

妊娠4ヶ月の中絶になるので

死産になるらしい

 

 

主人も私も 悔しくて涙が止まらなかった

 

 

火葬して お葬式もしてくれた母に感謝

 

そこから私は 鬱になり

引きこもりになってしまった

 

 

そして 長男に寂し思いをさせてしまったね

 

これもまた 自分が選んだ人生なのか

 

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