いつも ブログを読んでくださって ありがとうございます。 睦子です。
前の記事 幼少時代 家も学校も嫌いだった私は 入院を選んだのは
前回書いたブログで
お母さんのお腹の中で
両親の喧嘩を聞いていたことを書いたのですが
「お母さんの おなかにいる時から
お母さんや 周りの人の声を聴いてる」といわれています。
まさかと思いますよね?
私も 疑ってました。
でも だんだん わかってきたんですよ。
妊娠中に夫婦喧嘩で大声を出すだけでも、
お腹の中の胎児に響いて、小さく硬くなってしまっているそうで
母体の感情はすべて胎児に伝わっています。
「胎児は聴いている」
わたしもまた 胎児の時から
ビクビクしていたんですね、きっと。
お母さんが 常にピリピリしていたので
わたしも ピリピリ神経質な子供になりました。
そして 両親の 怒鳴り声が
お腹の中で 聞こえているので
大きい声の人は やはり
今でも 怒られているようで 苦手なのかもしれません。
小学生までは
出張所というところで
ずっと 親子3人の 生活なのに
楽しい思い出がない
書いているうちに浮かんだ
3、4歳の頃
石を持って
お風呂場の窓のガラスを割った記憶が蘇ってきたのです。
3、4歳というと
幼稚園かなと思うのですが
もしかしたら保育園にいきたくないと
ごんぼ(意地を張る)ほってたようです。
その保育園の記憶が
全然ないので
もしかしたら ほとんど行っていないのかもしれない
母は 私を保育園に入れたかったようですが
私はいきたくなかった
でも
なぜ 石を 投げたんだろう
そして 窓に命中させて ガラスを割った私って すごいかも(笑)
今 第三者のように 見ている自分がいます。
それだけ 激しい気持ち
だけど 母は 怒らなかったような気がします。。
さて そのあと
私は 保育園に行ったのか
母はいないので 聞けない(汗)
まさか 「ものを投げて喧嘩はしてないですよね?お母さん」
ふと
なんで 石を投げる行為だったのか
これは
言葉 コミュニュケーション能力が 低かったからではないのかな?
母に対して
言葉でも 力でも 敵わない
どうしたら 保育園に行かないようにできるかの
とっさの判断だったのだろうか
いやいや まさかね
幼少時代の 激しい 性格の 一コマ
自分の仕事が 忙しくて
子供との対話時間がすくなかった
子供の話に耳を傾ける時間がなかった
そんな母を
忙しかったんだね
わたしと話せる時間がないくらい
お仕事に一生懸命だったんだね
ガラスを割った わたしを怒らなかったのは
わたしが 母のそばを離れたくなかったと
気がついてくれたからなのだ
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